前回の続きになります。

 

 

 

 

室町幕府第8代将軍足利義政が将軍に就任する以前に起こった事件によって、室町将軍家は著しい財政難に陥ることになるのですが、この事件とは一体どのようなものだったのか、ということでした😊

 

 

 

 

ここでまず室町幕府の財政が、どのようなものでまかなわれていたのかを考えてみます。

 

 

 

 

室町幕府が滅びた後に日本を統治した江戸幕府の収入源は、幕府の直轄地である天領に住む農民によって納められる年貢(=米)でした。

 

 

 

 

こうした農民の負担は、田・畑・家屋敷を基準にしてかけられていました。

 

 

 

 

つまり、「土地」に対して税が課せられているわけです。

 

 

 

 

そして江戸幕府が滅びた後に日本を統治した明治政府の収入源は、当初は江戸幕府同様年貢(=米)でしたが、地租改正を行うことで土地に対して税が課されることになりました。

 

 

 

 

江戸幕府明治政府ともに土地を重視し、土地に課税することで財政をまかなっていたのです。

 

 

 

 

 

では室町幕府はどうだったのでしょうか❓

 

 

 

 

室町幕府(将軍)の直轄領を御料所(ごりょうしょ)といいます。

 

 

 

 

この御料所からあがってくる年貢が、室町幕府の財源となっていました。

 

 

 

 

しかし、この御料所は現在200ヵ所程度しか確認されておらず、御料所からの年貢だけでは到底財政をまかないきれなかったと考えられているのです😲

 

 

 

 

 

室町時代は現在と同じように貨幣経済の社会でした。

 

 

 

 

室町幕府はさまざまな財政支出のために、多くの貨幣(現金💸)を必要としていました。

 

 

 

 

ですから室町幕府は、さまざまな名目で税金をかけていきました。

 

 

 

 

例えば、京都周辺の交通の要所には関所が設置され、通行税としての関銭(せきせん)や港への入港税としての津料(つりょう)が課されています。

 

 

 

 

さらに、日明貿易で得られる富にも室町幕府は注目しています。

 

 

 

 

中国(明)へ派遣される貿易船の主催者である幕府が、貿易に参加した商人たちから徴収した税を抽分銭(ちゅうぶんせん)といいます。

 

 

 

 

持ち帰った輸入品の売却見積もり額の10%を帰国後に課したのです。

 

 

 

 

室町幕府は莫大なる収益をあげることができました。

 

 

 

 

他にもまだあるのですが、室町幕府が特に重視した税があります。

 

 

 

 

それが、倉役酒屋役と呼ばれた税でした。

 

 

 

 

京都で高利貸しを営んでいた土倉(どそう)や酒屋に対して、室町幕府は税を課していました。

 

 

 

 

この税こそが、室町幕府主要な財源となっていたのです。

 

 

 

 

しかし、この土倉酒屋からの税収が大きく落ち込む「ある事件」が起こってしまいます😲

 

 

 

 

それが、「嘉吉(かきつ)の徳政一揆」と呼ばれる一揆でした。

 

 

 

 

この一揆は15世紀半ばに起きた大事件ですが、この頃の社会には、都市・農村を問わず、土倉などの高利貸し資本が深く浸透していました。

 

 

 

 

都市民・農民ともに、貨幣経済の社会にあって、貨幣が必要な場合は高利貸しから借金していたのです。

 

 

 

 

当然ですが、借りたお金は利息をつけて返すことになります。

 

 

 

 

この利息が、高利貸しの重要な収入になるのです。

 

 

 

 

 

室町幕府第6代将軍足利義教(よしのり)が暗殺されたのを契機にして発生した嘉吉の徳政一揆の要求は、幕府に徳政令を出させることにありました。

 

 

 

 

つまり、借金の帳消しを権力者である室町幕府に求めたのです。

 

 

 

 

室町幕府はこの徳政一揆に対して、初めて徳政令を発令することになるのですが、高利貸しの立場からすれば大問題でした😓

 

 

 

 

貸した金が一切戻ってこないからです❢❢

 

 

 

 

室町幕府によって、貸借関係の無効が「公的に」承認されてしまったのです。

 

 

 

 

高利貸し(土倉酒屋)は大打撃を受けることになります。

 

 

 

 

利息をとるどころか元本すら戻ってこない高利貸しには、室町幕府に課された倉役酒屋役を納める経済力がありませんでした。

 

 

 

 

暗殺された第6代将軍の跡を継いだ第7代将軍足利義勝(よしかつ)でしたが、在職わずか1年で赤痢(せきり:消化器系の伝染病)のため10歳で他界します。

 

 

 

 

そして13歳で将軍に就任した足利義政の時代には、徳政令の発令によって大打撃を受けた高利貸しからの税収が大幅に落ち込んだことで、室町幕府深刻な財政難に陥ることになってしまったのです😢

 

 

 

 

足利将軍は、こうした財政難を一時的にでも克服すべく美術品を売却していきます。

 

 

 

 

そして数少なくなった美術品を効果的に飾るために、違い棚という展示方法が考案されることになったというわけです。

 

 

 

 

 

歴史を学ぶと、よくわかります。

 

 

 

 

社会を安定させるということがいかに難しいことなのかを。

 

 

 

 

先人たちの歴史を学び、これからに活かしていきたいと強く思います。

 

 

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