みなさんは「南鐐二朱銀(なんりょうにしゅぎん)」と呼ばれる銀貨を知っていますか❓

 

 

 

 

この銀貨は、江戸幕府第10代将軍徳川家治(いえはる)のもとで老中を務めた田沼意次(たぬま おきつぐ)が、ある明確な意図を持って鋳造させた貨幣でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

上の写真にもあるように、8片をもって小判1両に引き換えると明示してあります。

 

 

 

 

なぜ田沼意次はこの銀貨を鋳造させたのかを考えるにあたって、まず江戸時代金貨銀貨について考えてみたいと思います😊

 

 

 

 

 

 

全国に通用する貨幣を安定供給する責務を負った江戸幕府は、1600(慶長5)年金座銀座をそれぞれ開設させます。

 

 

 

 

金座江戸京都に置かれ、後藤庄三郎(ごとう しょうざぶろう)のもとで小判などが鋳造されました。

 

 

 

 

高等学校で使用する教科書などには、金座江戸京都に設置されたと記載されていますが、実際には徳川家康駿府(すんぷ:静岡県)へ移ると一時駿府にも金座が置かれていますし、鉱山⛰があった佐渡にも置かれていました。

 

 

 

 

金貨は、1両=4分(ぶ)=16朱(しゅ)4進法で数えられる計数貨幣です。

 

 

 

 

計数貨幣とは、一定の形状に鋳造した表面に、一定の価格が表示された貨幣のことです。

 

 

 

 

数を計算するだけで、すぐに価格を知ることができます。

 

 

 

 

現在私たちが使用している貨幣は、そのすべてが計数貨幣です。

 

 

 

 

つまり、10円が10枚で100円。100円が10枚で1000円。

 

 

 

 

あまりにも当たり前のことですが、江戸時代金貨は現在の貨幣同様、数を数えればその価値を容易に判断できる貨幣だったのです。

 

 

 

 

 

しかし❢❢

 

 

 

 

 

銀貨は違っていました😲

 

 

 

 

 

              

 

 

 

 

 

上の写真の左側は丁銀(ちょうぎん)、右側は豆板銀(まめいたぎん:小玉銀とも呼ばれる)と呼ばれた銀貨ですが、見ての通り形が一定していません😓

 

 

 

 

 

銀座は、大黒常是(だいこく じょうぜ)のもとでまず伏見に設置されました。

 

 

 

 

そして徳川家康駿府移住に伴って駿府にも銀座が置かれることになりますが、のちに江戸に移動、伏見銀座京都に移されます。

 

 

 

 

 

教科書などには記載がありませんが、実は鉱山がある佐渡大坂、外国貿易の窓口である長崎にも銀座が設置されていました。

 

 

 

 

 

銀座で鋳造された銀貨は、秤量貨幣(しょうりょうかへい)でした。

 

 

 

 

つまり取引のたびに目方(めかた:重さのこと)をはかることで、品位が鑑定されていました。

 

 

 

 

丁銀豆板銀を見るとわかるように、形がバラバラでしたので、数を数えることで品位を確定することができなかったのです。

 

 

 

 

 

江戸時代の貨幣制度は三貨体制と呼ばれたように、金貨銀貨の他に銭貨が鋳造されていました。

 

 

 

 

銭貨を鋳造した銭座は、江戸近江坂本(滋賀県)をはじめ全国にあわせて10カ所程度設置されています。

 

 

 

 

現在は考えられませんが、銭座を興して銭貨を鋳造したいと考えた業者は、銭貨で鋳造されますので、そのの入手経路、どのくらいの量の銭貨を鋳造する予定なのか、営業税としてどのくらい納める予定なのか、などを定めて幕府に願い出ることになっていました😲

 

 

 

 

銭座設立を許可する場合は、幕府手本となる銭を与えて、形状・品質の統一を図ったのですが、当時の技術では銭座ごとに多少の相違があるのは避けられませんでした😓

 

 

 

 

金座銀座とは異なり、銭座民間請負という形で「寛永通宝」を鋳造していたのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この銭貨金貨と同様に計数貨幣でしたが、銀貨秤量貨幣であるなど、三貨の交換が問題になります。

 

 

 

 

この三貨の交換率はのちに「1両=60匁(もんめ:1匁=3.75g)=銭4貫文」と定められましたが、実際にはその時の相場に従っていました。

 

 

 

 

ちなみに1貫文=1000文です。

 

 

 

 

現代から見ると、江戸時代の貨幣制度は実に不思議な世界です。

 

 

 

 

金貨と銀貨を交換する際には、貨幣相場が変動するので、いつ交換すべきかの冷静な判断や相場を読む目が必要とされたということです。

 

 

 

 

現在で言えば、例えば円とドルを交換する際に、いつ交換したら、あるいはどこで交換した方が損しないのかの判断が必要とされるのと同じです。

 

 

 

 

どうして日本国内で、このような大変に面倒な貨幣制度が成立したのでしょうか❓❓

 

 

 

 

この続きは次回にしたいと思います😊