前回の続きになります。
鎖国政策を採用した理由の1つは禁教政策であり、もう1つが貿易の利益を江戸幕府が独占するためでした。
キリスト教✛の布教により、日本が侵略を受けるのではないかと危惧した江戸幕府は、日本国内へのキリスト教✛の侵入を徹底的に遮断していきます。
さらに、江戸幕府以外の大名が貿易で利益をあげ富強化していくことを恐れた江戸幕府は、貿易を自らの統制下において貿易の利益の独占を画策します。
この2つの政策が、いわゆる鎖国という政策になるのです。
ここまでを生徒とともに確認した後に、次のような質問を生徒に投げかけています。
「異国船を打ち払うというのは、異国船を撃沈させる政策なのですか、それとも異国船の手前などに着弾させて撃沈はしない政策なのですか❓」
生徒からは、
「当然、撃沈なんてさせないですよ(笑) もし船に弾があたって撃沈させてしまったら、相手の国と戦争になってしまいますから(笑)」との返答があります😊
生徒からの返答があった後、次の質問をしています。
「異国船って、どういう船ですか❓❓」
なぜこのような質問をするのかというと、生徒の中に誤解している人がいるからです。
つまり、幕府が想定している異国船は軍艦ではない、ということなのです。
たしかにフェートン号は軍艦です。
しかし、その後日本に来航し、実際に常陸国や薩摩国に上陸したイギリス人は、捕鯨船員でした。
江戸幕府が想定していた異国船とは軍艦などではなく、捕鯨船などの民間の商船でした。
日本沿岸には多くの異国船が来て、日本の漁船と取引している現状を江戸幕府は把握していました。
江戸幕府による支配体制が弛緩(しかん)しているのです。
日本沿岸に姿を見せているのは、商船であって軍艦ではない。
外国軍艦によって江戸湾が封鎖される可能性がないと判断した江戸幕府は、江戸湾の防備を縮小する政策をとったわけです。
では、異国船打払令を発令した意図は、一体どこにあるのでしょうか❓
その答えは、江戸幕府の対外方針である「鎖国」と密接な関係があります。
「鎖国」政策の根本は、禁教と江戸幕府による貿易の独占・統制にありました。
イギリス船と日本の漁船が海上で取引を行うということは、当然のことですが通訳などを介して外国人と接触することになります。
外国人との接触を通して、幕府以外の人間が海外の情報に触れることになりますし、外国人によるキリスト教✛布教の可能性も強まります。
日本沿岸における異国船と日本漁船との一見ほんの小さな取引は、江戸幕府による禁教政策と貿易の独占・統制を不徹底なものとし、江戸幕府による支配体制を一層弛緩させることにつながると認識されたのです。
江戸幕府が発令した異国船打払令とは、外国船の来航を砲撃という威嚇によって防止することで、外国人と日本人を接触させないようにするための政策だったのです。
幕末直前期においても、江戸幕府は江戸初期の外交方針である「鎖国」政策を堅持しようとしていました。
江戸幕府は外国軍艦が江戸湾に来航する可能性を否定し、日本に来航する船は捕鯨船などの民間の商船であるので、砲撃で威嚇すれば来なくなるだろうと考えていたわけです。
民間船が来なくなれば、禁教政策と貿易の独占・統制を守り続けることができる。
しかし、こうした幕府による認識は、アヘン戦争でイギリスが中国(清)に勝利する事態を目の当たりにして、大きく変更を余儀なくされることになります。
なぜ、異国船打払令は発令されたのか。
この歴史を深めることで、当時の江戸幕府首脳の考え方を学ぶことができます。
当時の日本の中枢にいる人間たちが、日本周辺の有事に対してどのような認識を持っていたのかを知ることができます。
こうした歴史を、淡々と授業で生徒に説明するだけではいけないと私は考えます。
様々な歴史的事象をもとにしながら、生徒に考えさせることが大切だと思います。
授業ではアクティブ・ラーニングが必要不可欠です❢❢
みなさんは、どのようにお考えですか😊