前回の続きになります。

 

 

 

 

1221(承久3)年に勃発した、その後の幕朝関係に重大な影響を及ぼすことになる戦い。

 

 

 

 

承久の乱です。

 

 

 

 

後鳥羽上皇のもとには、上皇の軍事力である北面(ほくめん)の武士西面(さいめん)の武士となった有力御家人や、北条氏に反発する武士が集まりました。

 

 

 

 

しかし、後鳥羽上皇の思惑に反し、大多数の御家人北条氏が主導する幕府のもとに結集します。

 

 

 

 

北条義時の子泰時と、北条義時の弟時房(ときふさ)率いる幕府軍は、鎌倉を発してわずか1ヵ月で、朝廷軍を壊滅させて京都を占拠したのです😲

 

 

 

 

 

幕府との戦いに敗れた朝廷は、絶えず幕府の監視を受けることになります。

 

 

 

 

朝廷が独自の軍事力を持つことも厳しく制限されました。

 

 

 

 

また皇位の継承についても、幕府の許可を得て行われるようになってしまったのです😲

 

 

 

 

こうして幕府優位が確立される中、朝廷の権威は失墜していくのでした。

 

 

 

 

これ以後、朝廷は幕府の顔色をうかがうようになり、幕府と良好な関係を築いた上皇・貴族が朝廷内で重用され、朝廷政治を行っていくようになります。

 

 

 

 

つまり、朝廷は幕府に対して何も言えなくなるわけです。

 

 

 

 

 

承久の乱で勝利した幕府内部の勢力図はどうなっているのでしょうか❓

 

 

 

 

鎌倉幕府の最高権力者は、征夷大将軍です。

 

 

 

 

承久の乱勃発の前年に鎌倉に下向した三寅は、1225(嘉禄元)年元服(げんぷく)し、翌年将軍になります。

 

 

 

 

摂家将軍九条頼経(くじょう よりつね)の誕生です。

 

 

 

 

この8歳の新将軍を支え、事実上幕府政治を運営したのが、北条義時の死後執権に就任した北条泰時です。

 

 

 

 

幼少の将軍が政治的諸問題を北条氏に意見するのは困難だったはずですので、侍所別当政所別当を兼務し、他の御家人を統率する立場であった北条氏の立場は、朝廷・征夷大将軍のどちらからも干渉されることがなかったのです。

 

 

 

 

幼少の征夷大将軍も成長するにつれ、自己の判断を内外に示すようになります。

 

 

 

 

成長した将軍と結び北条氏討伐の計画などが、北条氏を快く思わない御家人によって立案されることが今後起こることになります。

 

 

 

 

北条氏はこうした動きを察知して、様々な理由をつけることで将軍を京都に送還し、政治を理解しない幼い新将軍を迎えるのです。

 

 

 

 

北条氏にとって将軍は、飾りに過ぎませんでした。

 

 

 

 

こうして北条氏による執権政治の安定がはかられたのです。

 

 

 

 

 

 

北条時政は、孫の源実朝の外祖父として将軍を後見する立場を獲得し、さらに政所別当に就任することで、執権政治の扉を開きました

 

 

 

 

時政の跡を継いだ北条義時は、政所別当と侍所別当を兼務し、幼少の将軍を迎えることで権力を掌握しました

 

 

 

 

そして承久の乱で朝廷を幕府の支配下におくことで、執権政治の安定化をはかったのです。

 

 

 

 

 

 

しかし最近、真の執権政治の確立を北条義時の子泰時の時期に求める説が出されています。

 

 

 

 

北条泰時以前、政治・裁判の決断権は、基本的には将軍が握っていたというのです。

 

 

 

 

北条時政義時の補佐を受けてはいるものの、幕府の意思決定は、政所の活動をふまえて将軍が行っていた。

 

 

 

 

ところが、北条泰時は将軍から政治・裁判の決断権を奪い、御家人の支持を得て、執権主導の政治体制を確立した、と考えられているのです。

 

 

 

 

北条泰時が制定した御成敗式目は、将軍個人の判断を排除し、幕府を構成する御家人の支持による規範に則って政治・裁判を行うために作られた、と捉えられています。

 

 

 

 

上記の説が多くの歴史学者の支持を受けて通説となるのであれば、入試問題にも変化がみられることになると思います。

 

 

 

 

 

歴史は面白い学問です。

 

 

 

 

歴史は過去を題材にしていますから、その時代に現代を生きる私たちは誰も存在してはいません。

 

 

 

 

ですから正直、よくわからないわけです😓

 

 

 

 

歴史は見方・考え方によって、様々に変化していく学問です。

 

 

 

 

わからないからこそ面白い😊

 

 

 

 

それが歴史なのだと、私は思います。

 

 

 

 

みなさんは、どう思われますか❓❓