前回の続きになります。

 

 

 

 

原敬(はら たかし)内閣

 

 

 

 

1919(大正8)年に改正が行われて、選挙資格が直接国税10円以上から3円以上に引き下げられました。

 

 

 

 

この改正前後の選挙における有権者数を見てみると、1917(大正6)年の選挙で142万2126人、改正後の1920(大正9)年の選挙では306万9148人となっており、有権者数は2.15倍に増えています。

 

 

 

 

直接国税の制限額が「7円」引き下げられることで、有権者数が大幅に増えてはいます。

 

 

 

 

しかし、原敬普通選挙(一定年齢以上の国民全てに選挙権を与えて実施される選挙)はまだ時期が早いとしてこれを認めようとはしませんでした😓

 

 

 

 

 

加藤高明(かとう たかあき)内閣

 

 

 

 

1925(大正14)年に改正が行われて、満25歳以上男性衆議院議員選挙における選挙権が与えられ、納税額による選挙権の制限が撤廃されました。

 

 

 

 

この改正前後の選挙における有権者数を見てみると、1924(大正13)年の選挙で328万8405人、改正後の1928(昭和3)年の選挙では1240万8678人となっており、有権者数は何と3.77倍に増えています😲

 

 

 

 

教科書などには1925(大正14)年の改正により、普通選挙法が成立したと記載されていますが、女性や当時日本の支配下(朝鮮・台湾・南樺太・千島列島など)にあった人々は選挙制度から除外されていました。

 

 

 

 

また、貧困によって生活扶助を受けたり、住居のない人々には欠格条項を適用して選挙権を付与していなかったため、1925(大正14)年の改正は「男子普通選挙制」の成立と呼ぶことができます。

 

 

 

 

選挙権が与えられたのは男性だけだったとはいえ、納税額による選挙権の制限が撤廃されたことはとても大きな変化でした

 

 

 

 

 

2回目

 

 

 

 

有権者数が前回の選挙から大幅に増えて行われた選挙についてです。

 

 

 

 

1941(昭和17)年の有権者数が、1459万4287人

 

 

 

 

1946(昭和21)年の有権者数が、3687万8420人

 

 

 

 

1946(昭和21)年の選挙時の有権者数は、1941(昭和17)年の選挙時の有権者数の2.52倍になっています😊

 

 

 

 

1925(大正14)年の「男子普通選挙制」の成立ほどのインパクトはありませんが、有権者数の大幅な増大が起こっているのがわかります。

 

 

 

 

ここでのポイントは、戦前から戦後へと時代が動いている、ということです。

 

 

 

 

 

幣原喜重郎(しではら きじゅうろう)内閣

 

 

 

 

第二次世界大戦終結直後の1945(昭和20)年に大幅な改正が行われて、満20歳以上男性女性衆議院議員選挙における選挙権が与えられたのです。

 

 

 

 

こうして女性参政権を「初めて」認めた新選挙法が制定されたのです。

 

 

 

 

1946(昭和21)年4月に戦後初の総選挙が実施され、39名女性議員が誕生したことは有名な出来事でした。

 

 

 

 

これまでみてきたように、日本の衆議院議員選挙における有権者数を大幅に増大させた理由に、「男子普通選挙制」の成立と「女性参政権」の付与という大きな出来事が深く関わっていました。

 

 

 

 

現在、衆議院議員選挙法は公職選挙法となり、2015(平成27)年に公布・施行された選挙法で選挙権年齢が満18歳以上に引き下げられました。

 

 

 

 

高等学校等に通学する18歳を迎えた生徒たちが選挙権を持ち、自らの考えをもって政治に関わるようになります。

 

 

 

 

 

政治とは何か。

 

 

 

 

一票で何ができるのか。

 

 

 

 

現代を生きる生徒たちに、私たち教師が何をしてあげなければいけないのか。

 

 

 

 

日々、そのようなことを考えています。

 

 

 

 

選挙権の歴史は、市民権獲得の歴史です。

 

 

 

 

市民権獲得を目指して、どのような過去があったのか。

 

 

 

 

どのような人々が関わり、どのような運動が起こったのか。

 

 

 

 

市民権獲得の歴史を学ぶことを通して、これからの日本や世界のあり方を考えられる人材を育てていきたいと強く思っています。