「鰊」
皆さんは、上記の漢字を読むことができますか☻❓
答えは、「にしん」です。
以前、ある大学の入試問題で、この「鰊」を扱った出題がありました。
次のような問題でした😊
「江戸時代において、蝦夷(えぞ:北海道)の主要産物の1つである鰊は、主としてどのように加工され、どのような用途で日本市場に流通したのか、説明しなさい。」
なかなか面白い問題だと思いませんか❓
今回は、「鰊」についての歴史を深めてみたいと思います😊
「鰊」について、歴史辞典には次のような説明がなされています。
蝦夷(北海道)の鰊は北前船⛵(きたまえぶね)により日本海を南下し、敦賀(つるが:現在の福井県)経由で京都や大坂に運ばれました。
北前船⛵とは、江戸時代に日本海、瀬戸内海を経て大坂に至るルートに就航した船⛵のことです。
北前船⛵は18世紀末には航路が蝦夷地まで延び、蝦夷地・東北地方の海産物を大坂に運び、大坂で積み荷を売りさばいては酒・塩・雑貨などを仕入れ、北陸日本海側の地域で売り払って莫大な利益をあげていました。
鰊は食用として、通常乾燥あるいは塩漬けにされて運ばれていました。
鰊は保存食として山間部で珍重されるとともに、京都の芋鰊(いもにしん)や鰊蕎麦(にしんそば)などの名物が誕生しました。
<芋鰊>
<鰊蕎麦>
このように鰊は食用として重要な役割を果たしていたのですが、食用としての役割と同等、あるいはそれ以上の役割を担っていた用途がありました。
それが、「金肥」としての役割です。
「金肥」とは、主に畿内(きない:現在の京都府・大阪府・奈良県のあたり)で用いられた用語で、お金💸で購入する肥料のことです。
江戸時代には商品作物生産が活発に行われます。
代表的な商品作物が、たばこ・木綿(衣類の原材料)・菜種(灯明用油)でした。
これら商品作物の需要が急速に高まると、生産性を高める効力のある肥料が商品として流通していきます。
鰊は釜(かま)でゆでて魚油をとったのちに搾(しぼ)ると、鰊粕(にしんかす)が残ります。
これを〆粕(しめかす)といいます。
〆粕に代表される金肥は高値で取引されるのですが、農民らは商品作物の増産のため積極的に金肥を購入して利用することになります。
商品作物は、農民の重要な現金収入源なのです。
こうして鰊は、〆粕に加工され、商品作物生産に必要不可欠な肥料として利用されたのです。
鰊の需要が増大するにつれ、鰊漁経営が発展し、明治中期になると鰊漁で蓄財した有力漁民は鰊御殿(にしんごてん)と呼ばれる豪邸🏘を建てるほど稼ぐことができたといいます😲
あと金肥としてもう1つ重要なものがあります。
こちらも受験では必須の用語になります☻
それが、干鰯(ほしか)です。
干鰯とは、鰯(いわし)を天日で乾燥させたものです。
鰯は、房総半島の九十九里浜で地曳網(じびきあみ)漁によって捕獲されます。
これら金肥は、商品作物生産に欠かせない肥料として上方(かみがた:京都・大坂)に出荷されたのです。
大学受験などでは、肥料についても出題されます。
草木を焼いて灰にしたものである草木灰(そうもくばい)。
人間の糞尿(ふんにょう)を薄め、腐らせて肥料にした下肥(しもごえ)。
下肥などは江戸時代においては重要な肥料として、商品化されていました。
そして、1960年代の高度経済成長期までは一般的に用いられた肥料でした。
肥料の歴史も改めて考えてみると、奥が深く、とても面白いものだと思います😊