以前に、【生徒からの挑戦状2「元寇の真実」】でも触れたのですが、「蒙古襲来」についてさらに理解を深めてみたいと思います

 

 

 

 

高等学校で使用する日本史教科書には、次のような説明が掲載されています。

 

 

 

1274(文永11)年、元軍は対馬壱岐を攻め、大挙して九州北部の博多湾に上陸した。幕府は、九州地方に所領をもつ御家人を動員してこれを迎え撃ったが、元軍の集団戦や優れた兵器に対し、一騎打ち戦を主とする日本軍は苦戦に陥った。」と。

 

 

 

私はこの部分、つまり「元軍は集団戦であるのに対して、日本軍は一騎打ち戦」という箇所をとても重視しています。

 

 

 

なぜ日本軍は一騎打ち戦なのかについて、私は授業で必ず生徒に質問しています。

 

 

 

中学校歴史の授業でも、元寇については必ず触れると思います。

 

 

その際に、元軍が集団戦であるのに、日本軍は一騎打ち戦であることは、日本軍にとって著しく不利に働くはずであると考えられますが、なぜかなと思いませんでしたか」と。

 

 

 

生徒からは、「特に気にしていませんでした」と返答されてしまうのですが…😅

 

 

 

実は、この「なぜ日本軍は一騎打ち戦なのか」という問いは、ある難関大学の入試問題でもありました😊

 

 

 

 

先ずは、鎌倉時代における日本の武家社会の特質という点から、考えを深めてみます。

 

 

 

鎌倉時代の武家社会は、「惣領(そうりょう)制」というシステムで成り立っていました。

 

 

武士の一族は血縁的統制のもとに、本家を首長と仰ぎ、本家以外の分家との結束を重視していました。

 

 

この本家と分家の集団は、一門・一家と称され、本家の首長を惣領(あるいは家督)と呼び、その他を庶子(しょし)と呼んでいました。

 

 

戦時には、一門・一家団結して戦い、惣領が指揮官となりました。

 

 

平時(戦争がない時)でも、先祖の祭や一門・一家の氏神の祭祀は、惣領の権利であり、義務でもありました。

 

 

 

こうした体制を惣領制と呼び、鎌倉幕府の軍事体制はこの惣領制に基づいていました。

 

 

つまり、戦時においては、惣領庶子を集め、一門・一家を率いて戦場に集結するわけです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

上図は教科書にも掲載されている『蒙古襲来絵巻』です。

 

 

日本の騎馬武者は、当時29歳の肥後国御家人であった竹崎季長(たけざき すえなが)です。

 

 

元軍は集団で毒矢を放ち、「てつはう」と呼ばれる火薬を利用した武器を使用して、日本軍を苦しめるのですが、この戦場に描かれた日本軍は竹崎季長たった一人」です😲

 

 

一門・一家によって結成された日本武士団は、当然ながら戦場に相当数いるはずです。

 

 

しかし、日本軍の戦法は「一騎打ち戦」なのです。

 

 

 

 

そもそも、惣領によって率いられた日本武士団は、なぜ戦争に参加するのでしょうか

 

 

 

それは、「御恩に対する奉公」に他なりませんでした。

 

 

奉公」を果たすことで、将軍から「御恩」(=恩賞)を得ることができます。

 

 

鎌倉幕府の将軍と主従関係を結んだ御家人(この御家人一門・一家を代表して将軍と主従関係を結んでいる惣領)は、将軍に対する奉公として、一門・一家を率いて戦場に結集し、「軍功をあげる」ことで、さらなる「御恩」(=恩賞)を獲得しようとするのです。

 

 

この「軍功をあげる」というところが重要なのです❢❢

 

 

 

 

つまり❢❢

 

 

 

 

結論から言えば、日本軍も元軍と同様に集団戦を採った場合、「誰が敵をどのくらい倒したか」、といった戦績が不明瞭になってしまう、ということになります。

 

 

 

戦場で敵を何人倒したのか、という事実が「御恩」の量を決定する際の重要な基準になるわけです。

 

 

 

戦場における軍功(戦績)を明らかにするためにも「一騎打ち戦」の戦法が採られざるを得ませんでした。

 

 

 

ですから先に掲げた『蒙古襲来絵巻』に描かれた竹崎季長の後方には、一門・一家の武士らが控えていたか、竹崎季長と同様に一騎打ち戦展開していたはずです。

 

 

 

戦場における戦法としては、極めて危険にうつる「一騎打ち戦」ですが、鎌倉武士にとっては、自らの軍功を明確にし、より多くの「御恩」(=恩賞)を獲得するために必要不可欠な戦法だったわけです。

 

 

そして将軍から与えられた「御恩」は、惣領を通して一門・一家で分けられました。

 

 

 

鎌倉武士の「一騎打ち戦」の理由を考えさせる際に、「御恩奉公」の主従関係を生徒に思い出させると、「あっ❢❢」と気づく生徒もいます

 

 

 

 

歴史は、様々な角度から考えさせることが大切であると思います。

 

 

歴史を考える」ということは確かに難しいです。

 

 

しかし歴史は考えなければ、深い理解を得ることはできません。

 

 

幸いにして私の授業を聞いて、歴史に興味を持つ生徒たちがいます。

 

 

教師としての醍醐味は、まさにここにあります。