前回の続きになります。

 

 

悪銭を排除し、良質な銭のみを扱おうとする撰銭を制限する撰銭令は、どのような目的で出されたのか、ということでした。

 

 

撰銭令を出したのは、室町幕府や戦国大名といった権力者たちです。

 

 

 

この問題をどのように生徒に考えさせるべきなのでしょうか😅

 

 

 

私鋳銭という粗悪な貨幣は、現代で言うなら間違いなく偽造通貨で、偽造通貨の鋳造は犯罪行為になります。

 

 

 

しかし❢

 

 

 

日本の中世という時代、この偽造通貨は通貨として日本国内に流通していました。

 

 

日本の経済を支えていた、ということになるわけです😲

 

 

撰銭によって、悪銭{鐚銭(びたせん)}の受け取りを拒否し、良質な貨幣{精銭(せいせん)という}が商取引の際に要求されるようになると、日本国内で流通する貨幣量が減少することになります😨

 

 

 

そうなると、経済的にはどうなるのでしょうか❓

 

 

 

 

当然ですが、貨幣量に比べて商品の量が多くなるため、貨幣価値の上昇が生じることになります。

 

 

 

そして、貨幣価値の上昇に反比例して物価が下落する、つまりデフレーションが生じ、景気後退、つまり不景気の状態が発生するわけです😨

 

 

 

戦国大名らは、交通の要地に城下町を建設し、積極的に商人を招来して、活発な経済活動を展開させます。

 

 

そして、関所の廃止市場の開設など、商業取引の円滑化に最大限気を配ることで、経済的繁栄を目指したのでした。

 

 

戦国大名によって作られた市場や町は、商人による自由な商業取引を原則とし、市場税などを設けない楽市(らくいち)として存在するものが多数ありました。

 

 

織田信長が自らの城下町である安土(あづち)に出した楽市令が有名です。

 

 

この中で織田信長は、市場税を廃止し、また、もし徳政令が発令されたとしても、安土城下町除外すると宣言するなど、商人による自由な商業活動を徹底的に保護する政策を打ち出しています。

 

 

なぜ、戦国大名はそこまで商人による自由な商業活動を重視するのでしょうか❓

 

 

 

商業活動は、経済発展のバロメーター(指標)です。

 

 

商業活動の停滞は、経済発展を阻害(そがい)し、戦国大名の領国経営にも重大な影響を与えることになります。

 

 

戦国大名は、景気の動向にとても敏感でした☻

 

 

撰銭という行為は、流通する貨幣量を減少させ、デフレーションを引き起こす可能性を秘めています。(もちろん当時は、デフレーションという用語は存在しませんでしたが…)

 

 

 

また、撰銭が商取引の際に行われると、取引が混乱します😓

 

 

ですから戦国大名らは、悪銭と精銭の混入比率を決めたり、一定の悪銭の流通を禁止するかわりに、それ以外の銭の流通を強制することで、貨幣流通の安定化を図り、商業活動を活性化させる政策を実施したのです。

 

 

 

室町時代には、実に多くの種類の銭貨が流通していました。

 

 

中国からの輸入銭である、宋銭元銭明銭、そして私鋳銭

 

 

経済の活性化はいつの時代においても、権力者にとって重要な課題です。

 

 

 

第二次世界大戦アジア・太平洋戦争が起きた一因に、世界経済の悪化が指摘されています。

 

 

不況はあらゆるものを暗くしてしまう要素を含んでいるのかも知れません。

 

 

 

大量の貨幣が必要とされた時代において、統一権力が未成熟だった室町時代。

 

 

室町幕府が統一貨幣を鋳造できなかったからこそ、起こった出来事が「撰銭」でした。

 

 

江戸時代に入り、統一権力(徳川氏)が誕生し、「寛永通宝」が大量に発行されるに及んで、通用銭が一元化され、撰銭はようやく終息することになりました。

 

 

 

 

 撰銭は、当時の時代が抱えた問題点を象徴した出来事であったように思います。

 

 

皆さんは、どのように感じましたか❓