前回のお話の続きになります。
重い税負担に苦しんだ農民は、どこへ逃げていくのか❓
ということでした。
この問いは、実際の大学入試問題にも出題されています。
農民の逃亡先としては、様々な可能性が考えられるわけですが、ここでは高等学校で使用されている日本史の教科書を中心に考えを深めていきたいと思います。
<京・畿内へ逃げていく>
京は、都が置かれた地のことです。
奈良時代であれば、平城京。平安時代であれば、平安京になります。
畿内とは、京周辺の特別区域のことです。
具体的には、大和国(現:奈良県)・河内国(現:大阪府)・摂津国(現:大阪府・兵庫県)・和泉国(現:大阪府)・山背国(現:京都府/のち山城国に改称)の5つの国を指します。
なぜ、京・畿内へ逃げていったかと言うと、
この地域は、課役のうち庸が免除されていたからです。
それではなぜ、庸が免除されていたのか❓
それは、この地域に住む住民が雇役(こえき:肉体労働のこと)されていたためです。
つまり、都造営のための工事現場で働かされていたからでした。
さらに課役のうち調が、畿内以外の国々の半額とされていました。
また、調の副物(そわつもの)という税もありましたが、京・畿内は免除されました。
完成していない都の造営や、国家的事業として推進される寺院の建設に従事する労働力として使用されたため、京・畿内は庸・調・副物などの税負担が免除されたのでした。
以上のような説明は、「国税庁」のホームページ内にある「税の歴史クイズ」の中にも載せられています。
生徒達に紹介してもよいのではないでしょうか☻
<私度僧(しどそう)となる>
私度僧とは、政府の許可を得ずに勝手に出家した僧のことをいいます。
教科書には、私度僧になることで税負担を逃れる者があった、と書かれてあります。
少し細かいですが、このことに関して説明します。
歴史資料を調べてみると、
私度僧になることは法律で禁止されており、その刑罰は「棒で尻を100回叩く」ことになっています。
通説では、私度僧は課役を不正に逃れる者として、厳しく取り締まられたとされてきました。
しかし、最近の研究では、
私度僧が取り締まられた実例はなく、刑罰に処された者は1名も確認されていません。
私度僧は実際には容認されていたと考えられています。
なお、課役が免除されるのは、官度(かんど:政府の許可によって僧になること)のみで私度は免除されません。
ちなみに、平安時代に「真言宗」を開いた空海も、最初は私度僧として活動し、のちに官度僧になっています。
<偽籍(ぎせき)>
これは、逃げていく、ではなく、税負担を逃れるための方法の1つです。
古代律令国家において、兵役・労役(労働)・課役を負担するのは、成年男性でした。
つまり、女性には重い税負担がないのです。
ですから、戸籍を偽って女性の数を多くすることで、税負担を逃れたのです。
女性は死亡しても除籍されなかったため、高齢の女性が圧倒的に多い戸籍が存在します。
つまり死亡しても、そのまま戸籍に残しておいたのです。
男の子が誕生しても、戸籍への新規の登載がほとんどなく、女の子として登載される。
こうして、課役の負担を少なくし、かつ国家より配られる口分田を確保するために、戸籍を偽る行為が多発するのです😲
なお、「逃げる」という行為は、教科書に2つ書かれています。
「浮浪(ふろう)」と「逃亡(とうぼう)」です。
浮浪とは、
本籍地を離れて他所に流浪することです。
そして本籍地を離れていても、課役を納めている状態のことです。
逃亡とは、
本籍地を離れていて、課役を納めない状態のことを言います。
さぁ、上記以外に農民達は重い税負担を逃れるため、どこに逃げていくのでしょうか❓
この続きは、次回にしたいと思います。
是非、皆さんも当時の農民の立場に立って考えてみて下さい。