今回は絶対国防圏についてのお話からでした。

 

少々細かくなりますが、お付き合い下さい。

 

 

絶対国防圏とは、

 

アジア・太平洋戦争後半に、日本軍が設定した防衛線のことを言います。

 

 

みなさんは、ソロモン諸島と呼ばれる島々を知っていますか

 

このソロモン諸島に、ガダルカナル島という島があります。

 

この島は日米両軍の激戦地でした。

 

半年に及ぶ激戦の末、日本軍はガダルカナル島からの撤退を余儀なくされました。

 

日本軍は2万人を超える死者を出しましたが、その大半は飢えと病気によるものだったとされています…。

 

この島は「餓島(がとう)」と呼ばれ、戦局は敗戦に向かって大きく転換します。

 

このガダルカナル島戦での敗戦が、1943(昭和18年)2月

 

 

この1943(昭和18)年という年は、日本が今後の戦略を考える上で重要な年となります。

 

 

日本はドイツイタリアと同盟関係にあったわけですが、

 

 

1943(昭和18)年1月、破竹の快進撃でソ連領に侵攻していたドイツ軍が、スターリングラードの戦いでソ連軍に敗れ、10万人の将校が降伏します。

 

1943(昭和18)年9月イタリアが連合国に降伏して、戦線離脱してしまいます。

 

 

このように太平洋戦線・ヨーロッパ戦線における戦況の悪化から、日本軍は作戦方針の転換を迫られます。

 

 

1943(昭和18)年9月30日御前会議(ごぜんかいぎ:天皇が出席した会議)が開催されます。

 

そして、「今後採るべき戦争指導の大綱」が決定されることになります。

 

 

その内容は、

 

 

1944年中期を目途に戦略態勢を確立し、千島・小笠原・内南洋(中・西部の南洋諸島)・西部ニューギニア・スンダ(現:インドネシア)・ビルマ(現:ミャンマー)を含む圏域を絶対に確保する」というものでした。

 

 

授業で扱う際には、教科書図説の地図を必ず生徒に示しながら進むことにします。

 

 

絶対国防圏」設定の意図は、戦線規模を縮小し、圏内の防備を固めるということに他なりませんでした。

 

ですから、「絶対国防圏」の外とされてしまった地域にいる日本軍は、事実上見捨てられ、死を受け入れる他はありませんでした。

 

 

この絶対国防圏の内にあるマリアナ諸島は、日米ともに戦略上重要な地と考え、その確保のため日米両軍による激戦が展開されることになりました。

 

 

世に言う「マリアナ沖海戦」です。

 

1944(昭和19)年6月に行われたこの戦いは、日米艦隊最大の海戦でした。

 

 

しかし、圧倒的な軍事力を有するアメリカ軍を前にして、日本軍の軍事力は脆弱(ぜいじゃく)でした。

 

この戦争の結果、日本は航空母艦(略称は空母:航空機を搭載し、海上における航空基地としての役割を果たす軍艦)3隻を失い、航空兵力はほぼ全滅したのです。

 

この戦いにおける日本人死者は、軍人・民間人合わせて約5万6千人。

 

 

ついに、日本の戦略上重要な拠点とされたマリアナ諸島サイパン島が陥落してしまいました。

 

絶対国防圏」の一角が崩壊してしまったわけです。

 

 

私は授業で高校生に、このような説明をしています。

 

 

マリアナ諸島サイパン島陥落には、恐るべき意味がある、と指摘している歴史学者がいます。東京大学教授の加藤陽子先生です。加藤先生は、サイパン島陥落によってアメリカ軍には、あることが可能になった、と言います。さぁ、何が可能となったのだと思いますか。」

 

 

この続きは、次回にしたいと思います。