「倭の五王(わのごおう)」って誰…❓❓
こう思われた読者の皆様も多いと存じます😅
「倭の五王」とは、5世紀に中国南朝の宋に朝貢(ちょうこう)した、倭(わ)の5人の国王を指します。
当時日本は、倭と呼ばれていました。
朝貢とは、貢物(みつぎもの)を差し出すことを言います。
「倭の五王」を授業で扱う際、私は必ずグループディスカッションさせて「あること」について考えさせています。
ここでは、「大津透『日本古代史を学ぶ』岩波書店2009年」を参考に、授業を構成しています。
日本史の教科書に必ず記載されている中国の歴史書『宋書(そうじょ)』に、
讃(さん)・珍(ちん)・済(せい)・興(こう)・武(ぶ)という5人の王が登場します。
倭の五王が中国南朝に使者を派遣して、一貫して求め続けたのは、朝鮮半島の支配権でした。
当時、倭は朝鮮半島にある、高句麗(こうくり)や百済(くだら)などの国々と激しい勢力争いを繰り広げていました。
一体何のためでしょうか❓
それは、朝鮮半島にある鉄資源獲得のためでした。
鉄は、武器や農耕具の生産に欠かすことのできない素材でした。
日本では古墳時代に鉄生産が行われ、一部の有力者が鉄器を独占していたと考えられています。
まさに、鉄は富の象徴であったわけです。
倭の五王は、鉄資源を確保するためにも、朝鮮半島の国々より優位な立場に立つ必要性を感じます。
だからこそ、中国に朝貢して、中国皇帝から称号を獲得する必要があったのです❢
『宋書(そうじょ)』によれば、478年に倭王武は、南朝の宋の順帝という皇帝に、次の上表文を提出しています。
上表文とは、君主に捧げる文書のことを言います。
「封国(ほうこく)は偏遠(へんえん)にして、藩(はん)を外になす。昔より祖禰(そでい)みずから甲冑(かっちゅう)をつらぬき、山川を跋渉(ばっしょう)して寧処(ねいしょ)に遑(いとま)あらず。東は毛人を征すること五十五国、西は衆夷(しゅうい)を征すること六十六国、渡りて海北を平ぐること九十五国。」
簡単に要約してみますと、
「昔から祖先は自ら武器で身を固めて山川を駆け巡り、東・西・海を渡った北(朝鮮半島)にある216の国を征服しました❕」となります。
ここで、あれ❓とお気づきになった読者の方がいらっしゃるかも知れません😓
倭王武は、宋の皇帝から称号を授けてもらいたかったはずです。
それなのに、上表文を見ると、自分の権力がここまで拡大したんだ❢といって何だか自慢しているようにも読むことができるからです。
私はここまで授業を進めてから、高校生にグループを作るように指示を出します。
そして、「あること」について考えさせています。
それは、
倭王武の上表文を読んだ中国の皇帝である順帝は、
①激怒したのか❓
②褒めてくれたのか❓
①・②のどちらが正しいかを理由とともに説明できるよう話し合って下さい❢
と生徒に投げかけるのです。
生徒は活発に議論し合います。
そして10分程度話し合わせたのち、各グループから発表してもらいます。
生徒はどのような解答を出すのか…。
読者の皆様は、どのようにお考えになりますか❓
このような面白い問いは、センター試験や大学受験では出題されません😨
受験参考書などにも載っていません…。
歴史を深めるには絶好の問いである、と私は思っています😊
この解説につきましては、次回にさせていただきたいと思います。