前回の続きになります。
では宗氏は、幕府が進める日朝関係改善に向けた動きをどのようにとらえていたのでしょうか。
このことを考える上で、非常に大切な説明が教科書には書かれています。
「対馬は耕地に恵まれなかった」という一文です。
耕地に恵まれない、とはどういうことでしょうか❓
結論を言えば、農作物が収穫できないということです。
食料を生産できないとなれば、生きていくこと自体が難しくなります。
しかし対馬の宗氏は長い間領主として、対馬を支配してきました。
なぜそれが可能だったのでしょうか❓
この答えは前回に載せた教科書の記述にあります。
室町時代に建国された朝鮮は、宗氏に貿易を統制させたのでした。
つまり、宗氏は貿易を行うことで利益を得ていたのです。
耕地に恵まれず、極めて低い農業生産力しか持っていなかった宗氏にとって、貿易の利益がほぼ唯一の収入源でした。
ですから宗氏にとって、朝鮮との貿易はなくてはならないものでした。
しかし日朝関係が断絶してしまっては、貿易を行うことができません。
日朝間の国交が回復し、かつ豊臣秀吉に代わって新しい支配者に君臨した徳川家康の許可を得て初めて貿易を行うことが可能となります。
対馬の宗氏の立場からすれば、まさに藩の存亡をかけた外交交渉を朝鮮と行うことになったのです。
1609(慶長14)年、対馬藩主の宗氏は、朝鮮との間に己酉約条(きゆう やくじょう)を結びました。
己酉は成立年の干支(えと)で、約条とは約束事という意味です。
この取り決めは、近世日本と朝鮮との関係の基本となりました。そして宗氏は朝鮮外交の特権的な地位を認められたのでした。
少し深いお話になりますが、宗氏は徳川家康の朝鮮に対する国書を偽造してまでも、日朝間の国交回復交渉を行いました。
のちにこのことが発覚して大きな問題になるのですが、そこまでして貿易の再開を願った宗氏の置かれた立場がよくわかります。
それでは朝鮮側は、日本との国交回復をどのようにとらえていたのでしょうか❓
豊臣秀吉の朝鮮侵略において、多くの朝鮮人捕虜が日本に強制連行されました。朝鮮侵略では特に西日本の農民までもが戦争に駆り出されてしまったため、農耕人口が減ってしまったと言われています。
この西日本の農耕人口を補ったのが、朝鮮人捕虜だったのです。
また捕虜の中には多くの陶工(とうこう)がいました。彼らが日本で陶磁器の生産を行い、例えば有田焼などの焼物の基礎が形成されました。
さらに捕虜の中には朱子学者もおり、有名な学者として姜沆(きょうこう)という人物が知られています。この人物は、のちに江戸時代の朱子学を築くことになる藤原惺窩(ふじわら せいか)の師として知られています。
このように見てみると、朝鮮侵略の際に連行された朝鮮人は、のちの日本に実に大きな影響を及ぼしていることがわかります。
しかし朝鮮側からすれば、自国民の返還が大きな課題となったはずです。
このことを考える上で、教科書の記述は大変に役立ちます。
「朝鮮からは前後12回の使節が来日し、4回目からは通信使と呼ばれた。来日の名目は新将軍就任の慶賀が過半であった。」と。
この「4回目」というところが大切であると思います。
つまり3回目までは通信使ではなく、別の使節であったということです。
では3回目までの使節はどのように位置づけられていたのでしょうか❓
この使節は「回答兼刷還使(かいとうけんさっかんし)」と呼ばれています。
文禄・慶長の役の朝鮮人捕虜の返還を目的とした使節で、1回目は1240人、2回目は321人、3回目は146人の捕虜が返還されました。
さらには、再度の侵略の可能性を探る国情探索も重要な目的としていたとされています。
このことが、日本との国交を回復するにあたっての朝鮮側の目的であると考えられます。
つまり、朝鮮人捕虜の返還と、新しい支配者となった徳川家康の朝鮮に対する外交姿勢の調査が大変に重視されたというわけです。
このような目的を果たすために、朝鮮側も日本との国交回復を推進したわけです。
近世初期における日朝間の関係改善に向けた動きには、江戸幕府(徳川家康)・朝鮮・宗氏の3者が関わっていました。
この3者とも積極的に日朝間の国交回復に向けて努力を重ねていたわけですが、3者の国交回復に向けた思惑はそれぞれ異なるものでした。
授業では、それぞれの立場に立って高校生に考えさせることが大切だと思います。
なぜ豊臣秀吉の朝鮮侵略で断絶した日朝間の国交を回復させる必要性があったのか、この点をしっかり考えさせることが、思考力を高めることにつながるのではないかと考えております。
近世初期の日朝間における外交政策も、実に奥が深いものだと感じます。
このような考え方は、大学受験で必要とされる学力です。
大学入試の参考書などには、深く説明されてはいない事項かも知れません。
しかし、歴史に対する深い思考は、高校生のみならず、中学生や大学生にも必要とされる力である、と私は考えております。