
奈良県大和郡山市植槻町の植槻八幡神社。
近鉄橿原線の近鉄郡山駅から北へ約700mの線路沿いに鎮座しています。
神門

創建年代はわかりませんが、平城京への遷都前年の和同2(709)年までに建立された植槻寺の鎮守社と伝わります。
また、平城京の裏鬼門(西南方向)に位置することから、平城京の守護神として創建されたとも見られています。
東大寺の二月堂神名帳においても、殖槻名神と記されています。
鳥居
植槻の地名は、飛鳥時代の白村江の戦いの後に、高句麗から帰化した高氏が植槻連を名乗ったという説もあり、植槻連がこの地に住み、祖先神を祀ったとも考えられます。
これらからすれば、奈良時代の初頭には創建されていた可能性があります。
境内
都が平安京に移ると社勢は衰えますが、すぐ南側にある大和郡山城が築城されると、この周辺は武家屋敷が整えられます。
現在の祭神は武運の神である誉田別命(八幡神)ですが、この時期に祀られたと考えられます。
本来の祭神は、この地を拠点とした植槻連の祖先神であったかも知れないです。
拝殿
奈良には多くの延喜式内社があります。
当社も、その歴史の古さから式内社に選ばれてもよかったと思われますが、延喜式神名帳がまとめられたのは、平安時代初頭の延長5(927)年。
都が平安京に移り、平城京の裏鬼門の守護神である必要がなくなったため、あるいは、社勢が衰えたため選ばれなかったかも知れません。
本殿
本殿は、銅板葺きの一間社の春日造で、江戸時代の造営によるもの。
境内社
境内の摂社として、植槻坐藤原神社と植槻坐魚名神社があります。
植槻坐藤原神社の祭神は、藤原不比等・武智麻呂・仲麻呂。
植槻坐魚名神社の祭神は天押雲根命。
いずれも藤原氏系の祭神になります。
末社は、浅間神社・春日神社・天照皇大宮・三輪神社。
毎年1月7日に行われる植槻おん田祭は、飛鳥坐神社のおん田祭と廣瀬神社の砂かけ祭と合わせて、大和三大奇祭りと呼ばれています。
































