発達障害の原因と発症メカニズム——脳神経科学からみた予防、治療・療育の可能性』(河出書房新社,2014)
著者:黒田洋一郎,木村-黒田純子

第10章 治療・療育の可能性と早期発見
       ——子どもの脳の著しい可塑性

300〜303ページ

【第10章(3)】
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※この本には発達障害の発症のメカニズムと予防方法が書かれています。実践的な治療法を知りたい方は『発達障害を克服するデトックス栄養療法』(大森隆史)、心身養生のコツ』(神田橋條治)p.243-246 (2023/10/11のブログに掲載)療育の方法を知りたい方は『もっと笑顔が見たいから』(岩永竜一郎)も併せてお読みください。
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(2) 子どもの脳の可塑性の例
 おそらく近代医学以前から経験的に、子どもの脳は軟らかい、何にでもなれるという概念は信じられていた。
 脳神経科学が進歩し、ささまざまな観察や動物実験でこの可塑性は研究されてきたが、何よりも発見者のローバー医師や研究者を驚かせたのは一九八〇年の「サイエンス」誌に出た英国の青年の例である。
 本人は普通に育ち、大学の数学科に進学した。頭は良くIQは一二六で社会生活もまったく正常だった。ところがなにかのきっかけで、病院でMRI画像をとると、頭蓋骨中の約九〇%は主として脳脊髄液であった。 大脳皮質は一ミリ位の厚さしかなく、通常の約一〇%の量しかなかった。
 先天性の水頭症だったのだが、驚くべきことに大脳皮質などは少ない神経細胞をなんとか多数のシナプスでつなぎ合わせ、日常生活にまったく支障のないよう、すべての必要な機能神経回路を発達させていたことになる。
 ヒトの脳をつくり上げる遺伝子群は非常に良くできていて、神経細胞数が一〇分の一でも実際生活していくのに必要な機能を発達させるほど、システム的に頑健(robust)にできている実証である。なお先天性の水頭症患者の半分はIQが一〇〇以上といわれる。
 この青年の実例からか、「ヒトの脳は約一〇〇〇億の神経細胞の一〇%しか使っていない。後は予備である」といわれており、本当にほぼ一〇%でかまわないのかもしれない。
 これほど極端ではないにしても、普通に社会で働いていた人にてんかんの発作がおこり、脳のMRI画像を見ると、胎児、新生児の頃に受けたひどいダメージが残る異常所見が見られた例は多いらしい。アルツハイマー病の脳のような程度の萎縮がみられてさえも、まったく正常に生活できていた場合もあるのである。このように発達の初期であれば、脳の可塑性は非常に高いと考えられる。
 この「余分(九〇%?)の神経細胞は、実際に今はあまり働いていないが、障害を受けて新しい神経回路をつくりなおす時に、使われる予備では」という考えは、あらゆるリハビリ訓練の基礎となるだけでなく、自閉症やADHD、LDの子どもの治療・療育も可能とする脳神経科学の基本的な認識である。
 もう一つの重要な概念は、発達障害の治療法・療育は一般には、早期発見された後なら早いほうが良く、「赤ちゃんや子どもの脳の可塑性は、大人の脳よりはるかに大きい」という概念である。「大人のリハビリですら成功するのだから、子どもの欠けた特定の能力を新しく獲得させるのはより簡単なはずだ」と思う方は多いであろう。
 たしかに、「シナプスの可塑性を利用し、くりかえし訓練により予備の神経細胞をつないで、新しい神経回路をバイパス的につくる」という「発達のリハビリテーション」過程は、どんな脳でも行われている経験の記憶過程に非常に類似しており、発達しているヒト脳でも、シナプスの可塑的変化は一歳から二歳頃を中心にもっとも盛んである
 昔アルツハイマー病の研究班にいたとき、「進行中のアルツハイマー病患者の脳では、幼弱な脳で良く発現しているシナプス形成関係の遺伝子が盛んに発現している」という論文を読み、「そうか、アルツハイマー病の脳も、必死で失った神経回路を新しく作ろうとしているのか」と感慨を覚えたことがある。
 図4-2 の二つの領域のシナプス数、シナプス形成の時間経過からいっても、一歳から五歳頃までの幼児期は可塑性が高く、いわゆる「感受性期」のピークがあるのは事実であろう。結論として第6章で述べたように、それぞれの機能獲得、すなわち機能神経回路の成立には時間差があり、「共発達」しているが、個人差がもともとあるので、厳密ではなく、早期発見の目途が生後三歳で可能ならば、まだ「脳の可塑性」は十分に高い時期であるといえる。