『発達障害の原因と発症メカニズム——脳神経科学からみた予防、治療・療育の可能性』(河出書房新社,2014)
著者:黒田洋一郎,木村-黒田純子

第2章 症状の多様性と診断のむずかしさ
——個性との連続と診断基準の問題点
55〜58頁

【第2章(9)】
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※この本には発達障害の発症のメカニズムと予防方法が書かれています。実践的な治療法を知りたい方は『発達障害を克服するデトックス栄養療法』(大森隆史)、『栄養素のチカラ』(William J. Walsh)、『心身養生のコツ』(神田橋條治)p.243-246 、療育の方法を知りたい方は『もっと笑顔が見たいから』(岩永竜一郎)も併せてお読みください。
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 実際の発達障害の診断書を書くには、症状を正確に把握するために類型化された複数の項目を検討し、「診断の基準・分類に当てはまるかどうか」を操作的に決める診断基準が使われてきた
 この本を書きはじめた最近までは、米国精神医学会が決めた『精神疾患の分類と診断の手引第4版(DSM - Ⅳ)一九九四』とWHOの『国際疾病分類第10版(ICD - 10)一九九三』が用いられてきた。ICDは死因など公的な統計用でもあり、一般にはDSMがよく使われている
 DSMは双極性障害(躁うつ病)や統合失調症という二大精神疾患でさえ、病気の原因、脳内の実態がよくわからないものを、仕方がないので、症状のみを正確に観察し、それを「項目のうちいくつあてはまるか」といういわば統計処理して診断を決めやすくしたものといえる。
 このため、それ以前は精神科医の主観により「自閉症である、ない」が決められていたものが、ある程度客観化され、診断技術、経験などによるばらつきをなるべく少なくし、研究の相互比較が一応できるようになったので、世界中で広く使われるようになった。
 表2-2(次頁)に、まずDSM - Ⅳ - TRによるADHDの診断基準を示した。


 これらの診断項目をよく眺めれば「しばしば」ではないにしても、誰にでも思い当たるところがあるような “状態” が多く見られる
 したがって、個々の項目で見ても、定型発達した子どもとの連続性があり、当てはまるか、当てはまらないか、カットオフがむずかしい
 また、よく使われている「しばしば」という表現もあいまいで、じつは補足の解説でなるべく診断者によるばらつきがないようにしてある。
 そして、肝心なのは、これらのA(1)不注意の症状のうち六つ以上あてはまれば、「注意欠陥」、A(2)の多動性・衝動性の症状のうち六つ以上あれば、「多動性」ときわめて操作的に診断することになっている。なお「注意欠陥」は最近では「注意欠如」と表現することを学会で申し合わせた。
 重要なことは、この診断基準は、基本的に「日常生活に支障がある」ことが決定要因になっており、診断医の総合的な見方、高い問診能力が前提とされていることである。
 このような診断基準なので、自閉症の場合はもちろんADHDでも、経験の少ない医師が誤診する可能性がもともと高い。ことに日本では、医師免許さえあれば専門の小児神経科医、児童精神科医でなくても、診断書は有効である。Aという医師とBという医師でADHDの診断が異なることがあるのは必然といえよう。
 極端な例では、米国で、ある時期ADHDが社会的注目を浴びたとき、ある町ではなんと「全小児の20%がADHDと診断された」という疫学調査があった。小児科医だけでなく、普通の開業医が、ちょっと活発で腕白な子どもを「ADHDではないか」と親がつれてきたとき、安易にADHDと診断したためであろう。自閉症の診断も、経験がないと非常に困難であろう。