『発達障害の原因と発症メカニズム——脳神経科学からみた予防、治療・療育の可能性』(河出書房新社,2014)
著者:黒田洋一郎,木村-黒田純子
5〜7ページ

【はじめに(3)】
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※この本には発達障害の発症のメカニズムと予防方法が書かれています。実践的な治療法を知りたい方は『発達障害を克服するデトックス栄養療法』(大森隆史)、『栄養素のチカラ』(William J. Walsh)、『心身養生のコツ』(神田橋條治)p.243-246 、療育の方法を知りたい方は『自閉症スペクトラムの子どもの感覚・運動の問題への対処法』(岩永竜一郎)も併せてお読みください。
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 2. 脳神経科学の急激な発展と発達障害
 脳の研究は、ここ四〇年で急激に著しい進歩をとげた。私が分子遺伝学(遺伝の仕組みをDNAなど分子レベルで研究する分野)から脳の研究に転向したのは一九七一年である。四二年後の今、その頃には思いもよらなかった、脳の細胞レベルの構造や構成タンパク質(生体高分子)、行動を支える脳のメカニズムやシナプスの可塑性など、次々に明らかになってきている。これは一九七〇年代から米国を中心に盛んになった、脳神経系を総合的に研究するニューロ・サイエンス(神経科学)に、多くのすぐれた研究者と研究費が集中したためである。
 脳のことが、ことに分子(遺伝子)や細胞のレベルでよくわかると、それまで「原因不明、治療法なし」といわれていた精神や神経の病気も、その原因や発症メカニズムが分かり、予防や治療の可能性が広がってきている
 たとえば、私が直接研究にたずさわったことのあるアルツハイマー病(高次機能の基本にある記憶・学習システムの障害)では、稀な遺伝性(家族性)の患者さんの遺伝子(DNA)解析で、βアミロイド・タンパク質の関与が分かり、その神経毒性などが発症の引き金を引いていることが判明し、治療薬の開発のターゲットになっている。
 しかし、自閉症のような、さらに複雑で手がかりが少ない病気や障害は、これまでは脳神経科学者の研究対象になりにくかった。複雑なヒト脳の研究には、「脳ほど面白いものはない」といわれるほど、数千の興味深い未知の研究テーマがある。脳の構造や機能そのものの基礎研究だけで十分面白く、実験手段もあり、研究費も継続的にもらえることが多い。したがって、発達障害など症状が時間軸で変化し多様性に富んだ、とりわけ複雑な病態をもち、遺伝子解析や脳の画像解析を除き研究方法、技術があまり確立していない(研究成果がすぐに出にくい)テーマをわざわざ専門に選ぶ人は、今までほとんどいなかった。さらに「共発達」として、この本で新しく提唱した複雑・頑健・個人差のある「脳の発達システム」が基礎研究としてもやりにくかった事情もある。
 日本の現状では、すでに激増してしまっている発達障害児とその予備軍の数にくらべ、発見、治療・療育に対応できるスタッフ(ことにきちんと診断のできる専門の児童精神科医や小児神経科医)の数が著しく足りない。その上、過去の無策・放置による「大人の発達障害」の問題が重なり、ただでさえ困難な状況で奮闘されている医療・療育現場の方々に、脳レベルの生物学的研究にさくことができる時間は、情報収集だけでもごく限られているのは当然である。
 一方、脳神経科学者のほうは、たとえば日本の神経科学の合同学会 Neuro 2013では、自閉症の演題も少しずつ増えている。発達障害の専門家だけでなく、若い脳研究者が発達障害に興味をもち研究に参入していただく “たたき台” にも、この本がなれば幸いである。