原爆投下を決定したトルーマン大統領
を「原爆」で書いた時、意識が彼自身
となり、アメリカ合衆国大統領の立場、
当時のスターリン共産勢力との対峙など
という状況において、なぜ原爆投下を
決断したのかがわかると、腹立たしさ
は軽減した。
終戦直後の1945年8月17日付・
スターリンからジェレビャンコソ連
全権代表宛指令書の中で、ソ連は
千島列島および釧路と留萌を結ぶ
ラインから北半分の北海道と、西東京
を駐留地域にする事を要求。25日
トルーマンはいずれの要求をも拒否
した。彼がきっぱりと要求を拒否
出来た背景に、原爆という外交交渉
の切り札があった事は確かである。
「お前、デカイ口利くなよな。
モスクワとレニングラードにも原爆
投下しようか?」 という暗黙の恫喝
である。
「政治家のやる事は中途半端だから、
結局は我々がまた戦争する事になる。
我が軍団がドイツとソ連の間に挟まれ
たならば、両方攻める」と語ったのは、
アメリカの猛将パットンだが、私の
戦闘的思考も、トルーマンよりは
パットンに近い。私が当時のトルーマン
ならば、10日の日本降伏と同時に、
グァム・サイパンのB29爆撃編隊の
3分の2をベルリンへ移動させ、準備
が整い次第、モスクワとレニングラード
に原爆を投下してソ連中枢部を潰し、
同時に主要軍事施設を空爆。その後
パットンを主力とする戦車・歩兵の
地上部隊でソ連全土を制圧。共産勢力
を根絶させてしまうという方針を
とっていただろう。
男という生き物は、とかくこうした
戦略・戦術を組み立てるのが好きな
生き物らしい。この時「モスクワに
原爆を」と思考を巡らせている時、
数十万の赤ん坊・子供たち・女性や
老人といった、具体的なイメージが
見えているかというと、否である。
単なる「モスクワ」という都市に
抽象化されているだけである。戦争
とは、男たちの「思考」から始まる
と言える。たいていの場合この思考
に支配され、振り回されるわけだ。
醒めた意識とは、この暴力的攻撃
思考を俯瞰して観察し、制御する事は
可能だ。「猛獣使い」のようなもので
あるのだが。
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