森の神フンババ | 歴史エッセイ集「今昔玉手箱」

歴史エッセイ集「今昔玉手箱」

本格的歴史エンターテイメント・エッセイ集。深くて渋い歴史的エピソード満載!! 意外性のショットガン!!

現代文明の始まりは、今から約7000年前ペルシャ湾近くの
メソポタミアに興った、シュメール文明にまで遡る。首都ウルク
の王・英雄ギルガメシュの叙事詩は、最古の神話の1つである。
正確に言うと、ウル第3王朝を滅ぼしたアッカド朝の神話なので、
地母神はイナンナではなくイシュタルなのだが・・・

神の森を守る地母神イシュタル配下のフンババは、人間たち
から魔物として恐れられていた。その声は嵐のようで、口から
火を吹き、吐く息と共に疫病をふりまき、顔の中央にある1つ目
で見られると、誰でも石になってしまうと言われていた。
ギルガメシュは3分の2が神、3分の1が人間で、補佐役の
エンキドゥと共に、太陽神の力を借りて魔物フンババを殺してしまう。
フンババを殺され、自分の森を荒らされたイシュタルは激怒し、嵐を
起こして地上に7年間の飢饉をもたらすという「天の牛」を放つが、
これもギルガメシュに退治されてしまう。現代文明は、森の神殺しの
神話から始まる。巨匠・宮埼駿がこの神話を知らないはずがない。
というより、風の谷のナウシカから一貫して森と人間の関係性を
描く事で、文明の在り方を問うているように思える。

人間は木を切る為に森に入る。日干しレンガより丈夫な焼成レンガ
や陶器を焼き、鉱石や砂鉄を燃やして金属を得るために大量の木を
伐採して燃やす。火を操って金属を鍛え、武具や道具を作り出す
集団は、平野に住む農耕民とは異種の技術者たちとして畏怖の対象
だった。
フンババが1つ目であるように、日本で鍛治を生業とする山人も
皆、1つ目1本足の魔物として描かれている(柳田国男説) 熊野
山中の「一踏(ひとたたら)」飛騨山中の「雪入道」八丈島の「山姥」
そして「だいだら法師(ぼっち)」である。確かにたたら製鉄の炉は
天井に向いた火を吹く1つ目で、夜間漆黒の闇の中で見たら、山の形
と赤い焔の怪物に見えるだろう。

また未知なる森に踏み入る事は、未知なる病原菌(ウィルス)との
接触・感染をも意味していた。現代でもアフリカ奥地に踏み入って
エイズウィルスやエボラ出血熱が疫病として流行している。
疫病は森の「たたり神」だった。

宮埼駿1997年制作の「もののけ姫」は、現代版ギルガメシュ神話
なのだ。作者自身が「世紀末における神殺しの物語」と語っている。
風の谷のナウシカ原作コミック終了と共にもののけ姫の脚本執筆に
着手。2年の歳月と本人の引退を賭けて、全身全霊で制作した珠玉の
作品に仕上がった。

舞台は戦国時代。たたり神によって死の呪いを受けた少年アシタカと、
もののけ姫として恐れられる山犬神の娘サンとの複雑な絆を1つの
軸にして、物語を展開させる。もう1つの軸は、たたら場を束ねる
エボシ御前である。エボシは神の中の神・だいだらボッチを殺して
しまい、その代償として片腕を失う。そのために古い森は死滅する。
だいだらボッチの屍は新たな風となって、それまでとは異なる森の命
の芽となった・・・という粗筋である。巨匠宮埼駿は、最後に希望を
持たせた死と再生の神話に仕上げて、後世に願いを託した。


ペタしてね