史実と小説の間 | 歴史エッセイ集「今昔玉手箱」

歴史エッセイ集「今昔玉手箱」

本格的歴史エンターテイメント・エッセイ集。深くて渋い歴史的エピソード満載!! 意外性のショットガン!!

中学2年の冬休みに、吉川英治の「三国志」を
読んだ。黄河のほとりにたたずむ若き日の劉備
玄徳に始まり、諸葛孔明が五丈原で死するまで、
英雄豪傑が争い、変転し、とうとうと流れる物語
の面白さに引き込まれ、日常の時間と感覚を忘れて
没頭した。

読み終えてからしばらくして、吉川英治という人は、
どのようにしてこの物語を書く事が出来たのかを
知りたくなった。中国国家の正史である魏史・蜀史
などの資料を元にして後の世に小説となった
「三国志演義」などが基礎資料になっていると知れた。

その吉川英治の代表作に「新平家物語」がある。
若き日の平清盛が物語はじめ、源義経が奥州平泉で
自刃し、頼朝が鎌倉幕府を創設するまで、平家と源氏
と奥州藤原氏の思惑が交錯する、日本版三国志とも
言うべき大長編である。

吉川英治が新平家物語を書くに際して基礎資料にした
ものは、「義経記/平治物語/源平盛衰記/吾妻鏡/
玉葉」などである。この中で、今日一般に語られて
いる義経像を記した「義経記」は、室町時代に伝記的
小説として書かれたもので、数多くの脚色があり、
史実ではない。

同様に「平治物語」は鎌倉時代に、「源平盛衰記」は
南北朝時代の物語だが、かなりの脚色がある。「吾妻鏡」
は鎌倉幕府の正史だが、13世紀後半に北条氏の立場
から編纂したものであり、義経や藤原泰衡などの
人物描写の歪曲などに問題がある。「玉葉」は九条兼実
の日記なので事実を記しているものとして信用出来る。

では何が本当で何がフィクションなのか? 五条大橋で
義経と弁慶が出会う有名なシーン。間違いなくフィク
ションだ。弁慶という僧兵くずれの人間そのものは、
義経の家人として存在していたらしい。その弁慶と
義経一行が鎌倉方に追われ、加賀国安宅関で富樫
左衛門尉と丁丁発止のやりとりを繰り広げる、歌舞伎
十八番としても有名な「勧進帳」 石川郡富樫庄で
富樫介と名乗る人物が現れるのは南北朝時代になって
からで、これもフィクションと見てよい。そして
奥州平泉の地で、果たして義経は藤原泰衡に討ち
取られたのか?これが大問題なのである。私自身
最も困っているのがこの点なのだ。

吉川英治と並ぶ、もう一人の歴史小説の巨匠・司馬
遼太郎は、かなり史実にのっとった「義経」を書いて
いる。ところがこの小説は、義経が頼朝に反旗を翻し、
兵庫県大物浦から西国に向けて出港するところで
終わっている。勧進帳も義経の最期も書かれていない
のだ。司馬遼太郎は「義経はこれ以後、史実から伝説
の中に入った」と言いたいのだろう。山岡荘八の
「源頼朝」はもっと以前で終わっている。吾妻鏡の
記述に忠実に、義経を自刃させていいものかどうか。
史実か伝説かの迷いはまだ続いている。

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