エピダウロス スピリット | 歴史エッセイ集「今昔玉手箱」

歴史エッセイ集「今昔玉手箱」

本格的歴史エンターテイメント・エッセイ集。深くて渋い歴史的エピソード満載!! 意外性のショットガン!!

 ギリシャ神話に登場する全能の神・ゼウスは、地球という
大自然の現象全てを統合した象徴なのかもしれない。ゼウス
にとって人類とは、地球に生息する200万種の一種族に
すぎないのだろう。ゼウスは、人類が地球に害を成すと判断
すると、まるで人体の免疫システムが作動して害を取り除く
ように、人類を文明ごと滅ぼしてしまう。

 歴史上、大小さまざまな文明が栄えては滅んでいった。その
文明の最期は決まって大洪水などの天変地異か、異民族侵略に
よる破壊行為で幕を閉じている。古代地中海世界に咲いた
エーゲ文明や、黄金のミケーネ文明が、ゼウスの大洪水に
よって滅んだかどうかは定かではないが、以後のギリシャ世界
に約400年にわたる謎の「暗黒時代」が存在するのは史実
である。

 だが紀元前8世紀、ギリシャは突如として息を吹き返す。
人類史上に燦然と輝く「ギリシャ文明」が、高度に完成された
形で出現するのである。政治・経済・芸術文化などのあらゆる
ジャンルに多数の天才が登場し、現代文明と比較しても遜色の
ない文明が華開いたのである。

 このギリシャ文明を細かく調べてゆくと、そこから見えて
くるのは「自由」を根本に据えた、驚くべき精神性の高さで
ある。また、キリスト教的文明とは明らかに質が違う。
それは神と人間の関係性という、根本的な問題にかかわって
いる。聖書は、神に対する絶対的服従を人間に要求する。人間
は潜在的に罪の意識にさいなまれ、神に対して卑小に振舞う。
これに対してギリシャ文明では、神意にさからってでも人間
としての誇りを高らかに歌い上げ、人間中心の文明が築かれ
てゆく。この根本的なコンセプトの差が、社会システムや
思想などに如実に反映されてゆく。自然から搾取し続け、
物質至上主義だった20世紀欧米文明。これを打破して
より良い文明を模索してゆく為に、非聖書文明である古代
ギリシャ精神を理解し直してみるのも悪くない。

 さて、ここで古代ギリシャを生きた架空の女性・アポロ
ニアに登場願おう。彼女は哲学者・プラトンとほぼ同世代の
アテネ市民で、夫をペロポネソス戦争で失った。この戦争
ではアテネがスパルタに降伏し、アポロニアは二重の傷心
を味わった。彼女は気持ちが沈みがちになり、食も細く
なって吐血し、やつれていった。

 やがて彼女は病気療養の為、エピダウロスへと旅立った。
25万都市・アテネから海路で丸1日。エーゲ海を隔てた対岸、
ペロポネソス半島・アルゴリス地方の都市・エピダウロス。
ここは健康と医療の神・アスクレピオスの聖地であり、現在
でも野外劇場でギリシャ悲劇などの公演が行われている。
この「野外劇場」・・古代ギリシャにおいては、医療施設の
一部であった。

「えっ、劇場って芝居やコンサートの為のものだろう。医療
施設なら病院だろう」

というのが、現代人の常識だろう。ところが古代ギリシャ精神
では、「病院」のコンセプト自体が違うのである。その疑問は
おいおいアポロニアが解き明かしてくれるだろう。

 アポロニアはエピダウロスの医療センターにやって来た。
ポリュクリストスが設計した、最大一万四千人収容出来る円形
野外劇場の外周に、治療施設・博物館・美術館・競技場などが
あり、それらを中心にひとつの街を形作っていた。オリーブの
樹木がそれらを囲むように茂り、涼しい木陰を作り出している。
エーゲ海から吹く潮風の香りとは別に、何処からか甘やかな
乳香の香りが漂っていた。アテネの広場にはない神秘的な
雰囲気が、アポロニアのささくれだった心に柔らかな落ち着き
を取り戻していった。劇場外の柱や小さな広場の至るところに
神々の彫刻があり、行き交う人々を見つめていた。そこには
戦争で傷ついた者や老人、病気に苦しむ者たちが大勢いて、
ゆったりした時間の中で穏やかに過ごしていた。

 アポロニアは神殿に向かった。入り口を入るとすぐに、
アスクレピオスの像があった。左手に医学を象徴する巻物を
持ち、生命の本質について思考する姿である。それは意思的で
力強い。アスクレピオスは、光と芸術の神・アポローンの子で、
ケンタウロスのケイローンから医術を学んだ。死者を蘇らせる
事もたびたびあったので、冥界の神・ハデスからクレームが
ついた。この為ゼウスは、彼を雷電で焼き殺してしまう。
アポローンは激怒してゼウスに詰め寄った。ゼウスはアスクレ
ピオスを神々の座に加える事で、アポローンと和解する。
以来アスクレピオスは医学の守護神として、ギリシャ全土で
崇拝させる事になるのである。

 アポロニアは神殿の診察室で医師と向き合った。医師は
鉄筆片手にカルテを作成しながら、世間話を織り交ぜ、
アポロニアの病歴を聞き出してゆく。普段の食事、家族関係
や住居の様子など、個人の病気の背景を探り当てる。現代
医学用語では、これを「ペイシェント・プロファイル」と
言う。患者の生活像の事で、そうした背景の中に病気の要因
をみる診るのである。近代医学の祖といわれるヒポクラテスは、
特にこの考え方を重視した。彼は病変部位だけを治そうとは
しなかった。病気を全体的な異変としてとらえ、人間の「自然
治癒力」を引き出す内科的センスの方法論である。この「全体
的異変」には、肉体だけでなく、当然「心・精神」といった
無形の要素も含まれている。ヒポクラテスは言う。要は全体の
バランスなのだと。エピダウロス医療センターとは、ヒポ
クラテス的コンセプトを具体化させた社会システムといえる。

 アポロニアの主治医は問診と触診を終えると、カルテに従って
今後の「回復メニュー」を作成し、彼女に説明した。薬草の事、
食事の事、エピダウロスの各施設の事などである。初日は薬草を
与えられ、ゆっくりと休むだけだった。翌朝、グレープジュース
とハチミツ、少量のパンと軽い食事の後、アポロニアは「回復
メニュー」に従って、「風呂」のある施設に向かった。はじめに
彼女の裸体に泥が塗られた。泥のエステティックである。次に
サウナと水風呂。最後に全身に香油が塗られてマッサージを
うけた。たっぷりと半日の時間をかけ、無理なくゆっくり
行われた。アポロニアは体の芯からリラックスし、ぐっすりと
眠る事が出来た。月光の女神・アルテミスは、別名「病を癒す
者」と言われる。そう、眠りは最大の妙薬にちがいない。

 2~3日、バランスの良い食事とエステ、軽い散歩を行い、
決められた薬草を飲むだけのメニューで、アポロニアは生気を
取り戻し、順調に回復の方向へ向かっていった。少し食欲が
出てくると、新鮮な野菜や海草のサラダ、魚貝類、チーズ、
ヨーグルト、ワインなどが加えられた。

 そして、次なる「回復メニュー」は、「芝居を観る事」だった。
野外劇場では連日、午前と午後に分けて、悲劇と喜劇を2~3本
ずつ上演していた。4日目の朝、軽い散歩を終えたアポロニアは、
上演時間までを美術鑑賞にあてた。美術館には色彩豊かな神々の
絵画が展示されていた。題材で特に人気が高いのは、アポローン
の恋物語やムーサ(ミューズ)たちの姿を描いたものだった。
ム-サはアポローンに従う9人の女神たちの事で、芸術家に
詩的霊感を授けてくれる。それだけに個性も豊かで、それぞれに
得意なジャンルがある。

 歴史のムーサ・クレイオー。トランペットと水時計を持つ、
オリンピックの応援団のような存在。笛の演奏が得意なエウ
テルペー。アポローンの竪琴とのアンサンブルが絶妙。喜劇の
ムーサ・タレイア。笑いは心の解放というのが心情の、陽気な
女神。悲劇のムーサ・メルポネー。人間の怒り・苦しみ・
悲しみを優しく見守る、観音様のような性格。抒情詩と舞踊
のムーサ・テルプシコラー。ナイーブで豊かな感性だが、
時として激情と陶酔のディオニソス的境地になる事もある。
恋愛詩のムーサ・エラトー。後に「ああロミオ、あなたは
どうしてロミオなの」という命セリフをシェイクスピアに
与えたのは、この女神の働きだったりする。物真似芸のムーサ・
ポリュヒュムニアー。「芸」を語らせると、立川談志以上に
うるさい。天文学のムーサ・ウーラニア。大宇宙や大自然の
美学、サイエンス・フィクションの時空を超えた壮大な物語
を好む。そしてムーサ筆頭の取りまとめ役・カリオペー。
叙事詩と雄弁のムーサで、この女神の霊感なくして、偉大なる
叙事詩・ホメロスの「イーリアス」と「オデッセイア」は成立
しなかっただろう。

 こうした神々が、人間と共に楽しみながら文明全体を活気
づかせているのだから、古代ギリシャに天才とその作品が
綺羅星(きらぼし)の如く誕生したのも無理はない。ギリシャの
神々は豊かで楽しい感性の世界の住人であり、芸術的イマジ
ネーションの源泉である。だからこそ、神々も人間ものびやか
であり(しなやか・・でもよい)甘やかで活気に溢れているので
ある。

 午前中の軽やかな陽射しの中で、エピダウロス劇場の上演が
始まった。アリストファネスのヒット作・「女の平和」だった。
男たちが戦争ばかりしている為、女たちが一致団結してセックス
をボイコットし、戦争を止めさせようという粗筋である。地上
のムーサたちが、軽妙に役を演じていた。乱れ飛ぶきわどい
ジョーク。

「あらまっ・・・」

と、少々どぎまぎしていたアポロニアも、次第に物語の世界に
引き込まれ、腹の底から声をたてて笑った。

「ほらね。大声で笑っちゃえば、多少の病気なんて吹っ飛ん
じゃうわよ。」

アポロニアの背後で、喜劇のムーサ・タレイアがウインクしな
がら言った。

 午後は悲劇が上演された。エウリピデス作の「メディア」。
夫に捨てられた女の復讐劇である。エウリピデスは人間の奥深い
心理描写を得意とし、女王メディアの愛欲や嫉妬、憎悪や残忍さ
を赤裸々に描き出した。アポロニアはさまざまな意味で、自分の
情感をかきむしられた。女としての共感や反感。夫を戦争で
失った現実の感覚が、メディアの悲劇と照応した。アポロニアは
我知らず涙を流していた。流した涙によって、気づかぬうちに心
が浄化されていた。アポロニアは「生きる力」を取り戻した。

 ヒポクラテスは、「病める人」と「悩める人」を同じ次元で
とらえ、それに対する「癒し」の方法について語っている。先に
述べたように、心と体のバランスについて語り、人間の情感を
揺さぶる演劇・音楽・美術作品などの芸術を有効に医療に活用
すること。これを「癒しのテクネー」と名付けた。テクネーとは、
テクニック・テクノロジーの語源でもあるが、当時は「芸術・
医術・建築術・料理・魔術・処世術」などの広い意味に用いられ
ていた。アートやアメニティ(快適さ)の語源でもある。

「人への愛のあるところには、またいつも癒しのテクネーへの
愛がある。(医者の心得第四節)」

 そして何よりも、「癒しのテクネー」に必要なのは、「創意
工夫」であると語る。時代や環境の違いに応じて、「癒し」に
ついて考え、創意工夫を凝らせば、おのずから有効な方法論は
生まれるものだというわけである。そしてそれは、人間を肉
の塊と見なすような唯物的思考、および科学の発想からは決して
湧いてこないだろう。個々の人間の「魂」と向き合う事が「常識」
にならなければ・・・

 古代ギリシャ人は、人間が住む地上の環境に「創意工夫」を
加える事で、「癒しの場=エピダウロス医療センター」をつくり
あげた。自然と医療技術と芸術が渾然と溶け合った「社会環境」
そのものを、「病院」と見なした。そこには、人間が人間である
事の誇りを高らかに歌い上げる、精神性と美が存在した。いや、
かつて存在したと言うべきかもしれない。ギリシャ文化を
継承したとされるローマ人たちは、物質的享楽に溺れ、ギリシャ
の詩的・美的感受性、および精神的洞察などの無形の宝を、
十分に継承したとは言いがたい。ローマから発展した現代
欧米文明も、同様の欠陥を内包している。20世紀・・・
人間も科学も、自然に対して傲慢だった。その、深い反省から
新しい時代が始まっている。

悲劇作家・アイスキュロスは語る。

「人間は傲慢(ごうまん)な思いを抱いてはならない。傲慢は
花をつけ、破滅の穂を実らせる。(ペルシャ人) 」


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