さて第一次世界大戦開戦時に北海周辺に艦隊を集結させている英独ですが小競り合いはしても兵糧攻めを決めているため積極的に艦隊決戦は二の次、三の次のイギリスと取りあえず数は揃えられても基本は陸軍国家でガチの海軍国家(ただし大規模海戦とはご無沙汰)のイギリスには質ではとうて及ばないドイツとのにらみ合いが続いておりました…が1916年頃から急に風雲急を告げることになります。



まずイギリスですが北方における小競り合いでは勝つには勝っておりますがそれ以外……というか地中海方面ではポカしまくっております。



というのもドイツの地中海艦隊(二隻)ですが拠点はなく、しかも同盟国(笑)のヘタリ…もとい、イタリアが中立をかました揚句今大戦を始めた当事者であるオーストリアが協力に消極的とかいう絶望下、圧倒的な戦力を誇る英国地中海艦隊をひっかきまわすだけひっかきまわしてトルコ領に逃げ切り、そこでこの二隻はトルコによってお買い上げ=ドイツ軍とは縁切りました(笑)。ということ以降はオスマン帝国海軍旗艦としてロシアや地中海での通商破壊に活躍、革命後はトルコ海軍所属となり、両大戦を戦いぬくこととなります。



その後は一時、祖国である西ドイツに売却という形で戻れるとい話もありましたが独土両政府の折り合いがつかず1976年に解体されるという…トルコまたはドイツ版駆逐艦雪風みたいな経歴を誇る船でした。



で、その汚名返上と英国に(代金支払い済みの軍艦を持っていかれて激怒した)戦争状態となったトルコをつぶすためにチャーチル海軍大臣が考えたダーダネルス海峡をとっぱいして一気に首都であるイスタンブールを攻略する「さいきょうのさくせん」立案。ただし内容がガバガバ過ぎて海軍の制服組トップがぶち切れて辞任するとか西部戦線異状(しか)なし、状態なので主力部隊を派遣できないから二軍だか三軍級を投入。しかも作戦立案者がトルコなんて瀕死の病人だ!公言しているフラグ乱立させたガリポリの戦いは旧式とは言え戦艦数隻を失い、十数万の戦傷者を出して大敗。立案者は解雇されるという事態になります。



北海艦隊としてはそんなの知らんがな…状態ですがこれらの失態を挽回する必要性が出てきました。さらに連合国の一員であるロシア側が北海バルト海を抑えているドイツ海軍をどうにかしてほしいとの要請等々、イギリス側でも動き出す理由や事情が出てきました。



対するドイツ海軍ですが数の維持はできておりますがあくまで維持であって増えることはない状況。一方のイギリス海軍はどんどこ増強しているのでこれ以上時間がたてばたつほど不利になる……というありさま。



そうでなくとドイツ側のシーレーンである北海海路は英国海軍に抑えられておりこれを打開する必要性があります。



さらにこれは両軍ともいえるのですが開戦当初はクリスマスまでには終わるとかいう目論見がとっくの昔に破たんし、開戦初期の戦線からほとんど動かない状態が2年以上続いている状況。



となれば陸でのこう着状態をどうにか海でどうにかしようという話になるわけでこうしてにらみ合いから一転、英独海軍間での戦雲が急速に整うこととなります。



それでは続きは以上です