さて日本が日露戦争以来損出した海軍の再建に努め、榛名、霧島の就航。戦艦扶桑の建造よりようやく一息、ついた最中に欧州にて空前の大戦争が起こります。イギリスを中心とした連合軍とドイツを中心とした第一次世界大戦です。

一応イギリスやフランスとは同盟関係にある日本…ですがさすがに地球の裏側は遠すぎる、ということで局外中立の予定でしたがここにイギリスが全艦隊を欧州に集結うする方針をとったため、そのアジア方面の空白を埋めてもらうため、そして山東半島にいるドイツ海軍を撃滅してもらうべく日本に参戦を打診。

これを受けて日本は対独戦争に参戦します…が、イギリス側の参戦条件が初めは全面的に次の日には限定的でいい、でもその次の日にはやっぱり全面的に支援してなどコロコロ変わり、日本側からいい加減にしてくれと言われる始末。ちなみにいい加減にしてくれを通り越して激怒させた要請としては大戦末期に陸軍の派兵の要請(遅すぎるうえに遠すぎる)と金剛型4隻の貸出要請(これをやられると日本海軍が事実上無力化する)

この日本側からしてみれば無神経な、イギリスからすれば切羽詰まった状況での拒否がのちの日露戦争を勝利に導いた要因にひとつである日英同盟破棄の一因とも言われております…が、実際のところ前者が正しいようで実際にたまたまイギリスに依頼して募金で集めたお金で代金前払いで建造中主力艦(うち一隻は金剛級のモデルシップであるエリン)を摂取されたトルコ国民は激怒、同盟国側としてイギリスなどに宣戦布告します。

これを聞いた軍艦を接種を命じたときの海軍大臣は

「トルコなんか瀕死の病人だし。だから下手に中立ぶられるよりもよほどましさ」

と嘯き、対トルコ作戦を(当初は西部戦線の片手間で後半ごろからは割と本気で)立案実行に移しますが瀕死の病人相手に大敗北を喫し這う這うの体で逃げ出す始末。イギリス側はダーダネルス戦役と、トルコではチャナッカレの戦い、日本ではガリポリの戦いと呼ばれていものですが…この戦いでトルコ軍の指揮官として連合軍の上陸を防ぎ頭角を現し、戦後は大統領となり瀕死の病人たる祖国を救った人がムスタファ・ケマルです。

で、この無理無茶無策作戦を企画した人物は大臣の座を追われて雌伏の時を過ごすこととなります。で、その人物の名前はサー・ウィンストン・レナード・スペンサー=チャーチル、のちに首相となり二度目の大戦時に英国を指導していくこととなる人物です。

とまぁ、そのような中でも日本はアジアにおけるドイツの植民地の拠点である山東半島を制圧。イギリス海軍が出払っている間アジアにおけるシーレーンの維持。ドイツの潜水艦による通商破壊の護衛のために地中海に駆逐艦隊を派遣、兵器不足に苦しむロシアにイギリスの仲介を受けて武器の輸出(ちなみに代金はロシア革命により成立したソ連政府に踏み倒されたが)を行うなど同盟国としての責務を満足に果たしており、英国から「色々無茶は言ったけど、ありがとうだいぶ助かったよ」とは言われはおりますし、日本は日本で旧ドイツのアジア利権をおおむね獲得しているのでまぁ、満足する結果を得てはおりますが。

それはさておき、この大戦において例えば日本海海戦のように戦況には大きくは影響はしませんでしたが軍艦建造において引いては軍艦・榛名は影響を与えた海戦、ユトランド沖海戦が起こっております

それでは続きはまた次回に