さて今回は榛名の話は少し横に置いて金剛のお話。

といっても戦艦榛名の姉に当たる金剛ではなくその先代に当たるコルベットの金剛です。



まずコルベットというのは一層の砲甲板と三本のマストをもった軍艦の一種で、幕府の使節として勝海舟や福沢諭吉が渡米の際に用いた咸臨丸などはコルベット型にあたります。

ちなみに姉妹艦に当たるのが戦艦の方と同じく比叡であり三番艦以後が建造されていないためか榛名や霧島





この初代金剛さんはイギリス・ハル(近くにあのドッガーバンク事件が起きたところ)のアールス社で起工。設計は後に造船総監となるエドワード・ジェームス・リードで甲鉄船・扶桑(某不幸の先代)など初期の日本の軍艦の設計に携わってくれた人物です。





この初代様は二代目戦艦、三代目のイージス艦に負けないほどの実績をあげており、実践においても日清戦争には大連・旅順・威海衛攻略作戦等、本戦争の主要な海戦に参加。日露戦争では旅順などの重要な港湾の警備などに参加しております。



当時は何かと政情が不安である朝鮮半島に邦人保護のために出動したり、士官候補生の訓練のために7回以上の遠洋航海を行うなど平時でも活躍しております。





実は当時独立国であったハワイ王国とも関係があり、ハワイ併合を企図したアメリカ側によるクーデターが起こった際、何かと縁があった(ハワイ側から「アメリカ怖いから連邦国家になってくれ」とまで言われた。日本もアメリカ怖い上にさすがに太平洋を挟んでの飛び地を維持できるわけもないので断った…連邦化していたらのちの歴史はどうなっていたのだろう?)日本政府は当時それなりにいた在羽邦人保護を名目に東郷平八郎を指揮官とした旗艦浪速を中心とした艦隊を派遣。その中に金剛もおり、クーデターを起こした米兵や新政権を牽制(司令官である東郷平八郎はわざわざ米軍艦の横に艦隊を配置したい、クーデター政権を無視して旧王室や政権と接触していた)するなどしておりました。



結果的にこれが功を奏したのとさすがにやりすぎだというアメリカ国内世論もありこのときの併合をどうにか免れることができました。(結局五年後併合される)





で、今回のお題であるトルコとの関係ですが。



日土友好の起源ともいうべき事件であるエルトゥールル号遭難事件の際に救助されたトルコ海軍の船員を比叡とともに祖国トルコに送り届ける任につきました。





で、その際、日本中を駆け巡り彼らのために義捐金を集めた外務省に持っていた際に国交のないところとどうこうするの面倒だ…という職務放棄気味で粋な計らいでトルコに直接行けるよう手配し、この時一緒について行ったのがフーテンの寅さんこと山田寅次郎(本職:超有名な茶人)も乗船していたそうです。



こうして日土友好の一助としてかけ橋ならぬかけ船となった先代・金剛は日露戦争後は測量船として活躍し19105月に解体され割と歴史の大事件に絡んだりしたその波乱に満ちた人生ならぬ艦生を閉じることとなります。



そして彼女の名前を受け継ぎ、これまた波乱万丈の生涯を送ることとなる軍艦が生まれるのはその五年後となります。



続きは次の席で。