ご訪問ありがとうございます。
今月、大阪松竹座で上演中の「ヤマトタケル」を見てきました。
「ヤマトタケル」を通しで観るのは、実は初演以来、ン十年ぶりです。
その時はまだ宙乗りのできる劇場が大阪になくて、京都の南座でしたが、
卒論を書いて間無しでテンション最高⤴️⤴️な時で、絶対見ないと~と思い行きました(ノ゚Д゚)八(゚Д゚ )ノイエーイ
その後、途中何度か機会はあったんですが、見逃していまして、
猿之助丈の「事件」とかもあって、
今後「ヤマトタケル」は見られないんではないかと思っていた(*T^T)
今回は見られて本当によかった~
このスーパー歌舞伎「ヤマトタケル」は、現代にマッチしたストーリー、スピード、スペクタクル(3S)を掲げて、
三代目市川猿之助、つまり昨年亡くなった猿翁さんが、
哲学者で当時古代史界で旋風を巻き起こされていた梅原猛さんに脚本を依頼して作られたもので、
昭和61年(1986)に新橋演舞場で初演、
私は6月の京都南座で観劇しました。
番附(プログラム)を見ますと、梅原猛さんの初演の時の寄稿が再掲されていて、
「ヤマトタケルは猿之助さんであり、私だ。」というお話が載っていましたが、
当時はピンとこなかったのでしょうか?
今聞くと
なるほどね~、二人とも異端児だったからねえ(*-ω-)と同意w
居場所がなくて天翔って行きたかったのね~💦(いえいえ、お二人とも素晴らしい業績を残しておられますよ!)
当時の歌舞伎は、宙乗りなんて品がないみたいな感じだったんです。今みたいに新作歌舞伎でアニメなんかの歌舞伎化がバンバンされるようになったのは、それこそ「ヤマトタケル」の成功があってこそなのですヾ(≧∀≦*)ノ〃
本当は江戸時代の歌舞伎なんて、前にご紹介した「妹背山婦女庭訓」みたいに荒唐無稽でスペクタクルで楽しかったのに、明治以降バカにされてたのです(*T^T)グスン
しかも今回は、初演の演出に戻してということだったのですが、今見ても古さは全くなくて、ストーリー、スピード、スペクタクルを存分に楽しむことができました。
ストーリーはほぼ「古事記」準拠です。
父子の相剋が底流にあるのも「古事記」と一緒で、
わたしは猿翁さんが息子の香川照之さんをずっと拒否してきたということを知っているので、(ここの詳細はググって下さい。)
ヤマトタケルを拒否し続ける帝を香川照之(市川中車)さんが演じておられるのが、なんともフクザツ~な気分になるのですが(´-ω-`)
そこに大碓命、小碓命の母の死後、皇后になった大后オオキサキが我が子の根子ネコ命を帝位につけようとして、ヤマトタケルを追い出そうと画策するような話も入ります。
「日本書紀」ではヤマトタケルの死後に、稲日大郎姫が亡くなるのですが、そこは改変することでストーリーは分かりやすくなりますね。
で、ヤマトタケルを演じるのは香川照之さんの息子さんの市川團子ダンコさん、
四代目猿之助さんの襲名披露では7歳で、ヤマトタケルの息子ワカタケルのお役でしたが、
今回はまだ大学生の身で、よくヤマトタケルを演じきったと、感動しました。
序盤に小碓命が双子の兄大碓命を諌めにいってもみ合う内に、過って殺してしまう場面は、大碓命と小碓命の目まぐるしい早変わりで、小碓命で台詞を言い、ひとしきりもみ合ったら大碓命になってるというのを繰り返しますからたいへん💦
その第一部のクライマックスは、熊襲館に踊り女として潜入、踊ったあとに引き抜きで小碓命となって大立ち回り、
第二部は、東征の出発からですが、一辺が身長ほどの大旗を振りながらの焼津の火難の立ち回りから、走水での弟橘媛の入水に到る悲痛な場面まで、
第三部はミヤズヒメとの婚礼から、伊吹山での山神と姥神との死闘で、ずーっと立ち回りの連続ですから、よくこなせるなと感心します。
それで最後は独白と白鳥になっての宙乗りまで、息つく暇もありません。
しかも、初演の頃の猿翁さんのお話では
出来上がった梅原猛さんの脚本は、なんと4時間以上あったようでw
(梅原猛さんの本をよく読んでたので、それはすごくワカる~分厚いw)
猿翁さんはそれを削るのにたいへん苦心されたとお話しされていました。
それで初演はすごーく早口だった記憶があるのですが、とにかく台詞も膨大なのです。
團子さんも、いわば父親の因縁で歌舞伎界に引きずり込まれたような形だったのに、後ろ楯となるはずの猿之助さんの事件のこともあって、将来的にどうなるのか実はすごく心配していたのです💦
これからだとあと40年くらいはヤマトタケルを演じることができるので、まだまだ素人のわたしにはわからない未熟さはあるのでしょうが、ご自分なりのヤマトタケルを作っていってほしいと思います。
初演の猿翁さんは、もうベテランであったわけですが、それでも熊襲のところに踊り女として現れた16歳のヤマトタケルはとても可愛かったです。
コケティッシュなお色気までありさすが❗だと思ったものでした。
今回の團子さんは、コケティッシュという感じはなかったけど、なんせ若いので可愛さとか一途さとかは、ぜんぜん心配いらない。一生懸命さがすごく伝わります。
むしろ正妃、兄橘エタチバナ媛を都に残しながら、双子の妹弟橘媛(これも中村壱太郎カズタロウさんの二役)を愛し、
そのあとミヤズヒメの「わたしを一番愛して」という要望にホイホイ答えちゃうのも、團子さんの若さに溢れる瞳を見ると、なんとも納得してしまうんですよねw
脳筋であんまり考えてない感じの「古事記」の小碓命にはぴったりだったです。(誉めてます💦)
この瞳を見ると(×10のオペラグラス持ってるのでw)、ヤマトタケルの魅力は、怒りたい時は怒り、泣きたい時は泣き、というその若さにあるというのが、本当によく分かります。
16歳で熊襲に行き、帰って間無しで東国に追いやられる。そして途中で亡くなるという一生は、「日本書紀」の30歳でも長過ぎるので、大学生の團子さんの歳がぴったりなんだろうな、と思いました。
それと改めて思ったのは梅原猛さんの脚本が、古代のことを本当によくわかっておられる、ということでした。
一番すごいと思ったのは弟橘媛の入水のところなのですが、
占いによって嵐を鎮めるのはヤマトタケルの最も大切なものを海の神に差し出すこと、つまり弟橘媛を差し出すのだと占い師に言われたヤマトタケルは、当然拒否しますが、
弟橘媛は自ら出てきて、タケルに
「わたしは大后になりたかったが、今のままでは大后になれない。」といいます。双子の姉兄橘媛がタケルの正妃になり、皇子を生んでいたのです。
「だから私は海の大后になる。そのために畳を八重に敷いて大后の座をつくって欲しい。」と言いますが、それはあくまで詭弁でタケルは承知しません。
しかし弟橘媛は、
「ここは海の上だ。海の上では海の大后の命令をききなさい。」といい、雷鳴に怯える周りの人もその勢いにのまれて、畳を準備するのです。
ここはヤマトタケルがおめおめと愛する后を失う場面ですから、たいへん処理が難しいのですが、「海の大后」という言葉の使い方で、みんな弟橘媛の言葉を聞いてしまう。
弟橘媛が、ただ「あなたのために死にます。」といっても、ドラマにはならないけど(「日本書紀」はこれ)
弟橘媛が海の女神である本質を踏まえての命令は、(もちろん裏にはタケルへの愛が見えるだけに)たいへん切なくも説得力がありました。
初演も見てるし、そもそもヤマトタケルにはめちゃくちゃ詳しいわたしですが、
ここはさすがに泣けました(´;ω;`)
他にも梅原猛さんは、
征服されるがわの熊襲や蝦夷の立場を重視し、
自由な暮らしをしているのに、ヤマトは「米と鉄で支配してくる」などとヤマトを非難させます。
一方でそれを聞いたヤマトタケルが
「ヤマトは嘘ばかりだ。」と批判しながらも、熊襲や蝦夷を
「古いものを大切にするのはいいが新しいものを取り入れない国はダメだ。」と指摘ところは、より深い見方をしています。
だからヤマトタケルは梅原さんであり猿翁さんだということでしょうね。当時の歌舞伎界の古い因習や歴史の見方を打破したお二人のための言葉がこれです。
また大碓命が略奪する兄媛、弟媛をタジマモリが常世でもうけた兄橘媛と弟橘媛としたのも、梅原さんのアイデアです。
素晴らしい設定や展開だなと思います。
しかしながら、基本的に「古事記」に沿ったストーリーでこんなに泣ける(*T^T)なんて、
「古事記」の作者ってすごくないですか⁉️
わたしはやはり「古事記」の作者は天才だと思う。
「源氏物語」の300年も前に、こんな物語を作れるなんて❗と思うわけです。
わたしはミヤズヒメの歌から、「古事記」の作者は柿本人麻呂だという見方にたどり着きましたが、
梅原さんも、万葉仮名のご研究から、「古事記」の作者が柿本人麻呂ではないかと指摘されておられます。
「古事記」を読み込まれて、この脚本を書かれた梅原さんが、柿本人麻呂に注目されておられるのは、心強いことだと思います。
と、またヤマトタケルの検証に戻ってしまいましたね(;^_^A
初演に比べると今回は若い役者さんが多いせいか、セリフ回しなどはちょっと宝塚っぽい?感じでした。
スーパー歌舞伎だから、そもそもが歌舞伎っぽい溜めた話し方はしないし、現代語なのでわかりやすいという点ではおすすめです。
イヤホンガイド(レンタルすると芝居の進行に合わせて解説してくれる優れもの)などは全く要りません。
このイヤホンガイド、トイレで立ち話されているかたの会話を小耳に挟んだけど、幕間は「古事記」の解説らしいです。このブログを読まれてる方は要らないですね( ・∀・)ウン❗
だから歌舞伎って見たことない方も、気軽に見に行っていただけると思います。
若手なので通常より安めだし(*⌒∇⌒*)
(わたしは生協のチケットなので半額よりもちょっと上ぐらいのお値段で見ましたよ。団体割引になるんです。)
今回はこれで終わりのようですが、再演もあると思いますので、機会がありましたら、ご覧くださいませ。
「ヤマトタケル」は最後は、大后も根子命も亡くなって、帝も考えを改めて、
タケルの従者たちも褒美に与り、
兄橘媛が生んだワカタケルが日嗣の皇子になります。
こちらも古代史の方は、ヤマトタケルの皇子仲哀天皇がいよいよ熊襲征討に出かけるのですが……
「日本書紀」の方もどうぞよろしくお願いいたします。
それではまたのご訪問をお待ちしております。