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前回の「光る君へ」は清少納言推しのわたしにとっては神回でした( ^ω^ )


「枕草子」の書き始めについては、いろいろと見方があるのですが、

いわゆる日記的章段には、定子の没落を意図的に隠してあることも多く、リアルタイムで書いていたものでもないと見られています。



ただ、あとがきにあたる最終段には、

ドラマにあったように伊周(三浦翔平さん)が献上した草子を、一条天皇(塩野瑛久さん)が「史記」の一部を写されていると聞いた定子(高畑充希さん)が、

「わたしは古今集でも書こうかしら?」

とおっしゃるのを、

「これ給ひて、枕にしはべらばや。」と

清少納言(FSウイカさん)自らが願い出て頂戴したと書かれています。


この枕はそれこそ「諸説あり」なんですが、古典の教材を発行しておられる京都書房さんがまとめてくださったので、引用させていただきますと、

京都書房 京書だより


①シャレ説

定子が「史記」と言ったのに対し、「しき」=「敷布団」「しきたへ(枕の枕詞)」と連想し、「ではこちらは枕でいきましょう」と答えたというのが「シャレ説」です。

「敷布団」と「しきたへ」を重ねて連想するあたり、さすが清少納言と言える説ですね。


②シャレ合わせ技説

史記(しき)→敷布団・しきたへ→枕

のシャレに、「史記」=「四季」をプラスしたのが、シャレ合わせ技説です。「一条天皇が史記を書き写しになるなら、こちらは四季を枕にした作品を書きましょう」というわけです。


☝️ドラマに採用されていましたのはどちらでしょう?そこまでちゃんと聞いてなかった( ̄▽ ̄;)💦

どちらも頭の回転が速い定子、まひろ(吉高由里子さん)にはすぐわかってウケてもらえるんですね❗則光(元ダン)には無理そうw



③普通名詞説

枕草子が書かれた当時、「枕草子」という言葉は普通名詞として使われていました。意味はこれも諸説あるのですが、

1.備忘録や日記帳などの書物

2.歌枕の解説書

などの意味で使われていたようです。

つまり、そのまま「ではこちらは枕草子を書きましょう」と言ったという説ですね。


まあこういうのもアリで、それも含んでの洒落だったと思われます。


それにしても、「枕草子」爆誕のシーンは美しかったですね。


わたしはかねがね「春はあけぼの」の冬のところに違和感があり、

ちょっと全文あげてみますね。

(わたしの持っている本が能因本をもとにした小学館の日本古典文学全集なので、教科書に載ってる岩波書店の日本古典文学体系の文章と微妙に違いますが、ご了承下さい。意味が分かりやすいよう適宜漢字にしています。)


春はあけぼの。やうやう白くなりゆく山際ヤマギワ、すこし明かりて、紫だちたる 雲のほそくたなびきたる。


夏は夜。月の頃はさらなり。闇もなほ、蛍の多く飛びちがひたる。また、ただ一つ二つなど、ほのかにうち光りて行くもをかし。雨など降さへをかし。


秋は夕暮。夕日華やかにさして山際ヤマギワいと近うなりたるに、烏カラスの寝どころへ行くとて、三つ四つ二つなど、飛び行くさへあはれなり。まして雁などの連ねたるが、いと小さく見ゆる、いとをかし。日ヒ入り果てて、風の音オト、虫の音など。


冬はつとめて(日の出のころ)。雪の降りたるは言ふべきにもあらず。霜などのいと白く、またさらでも(そうでなくても)いと寒きに、火など急ぎおこして、炭もて渡るもいとつきづきし(ぴったりだ)。 昼になりて、温ヌルく緩ユルびもていけば、火桶の火も白き灰がちになりぬるは劣ワロし。



冬に一番寒い早朝をあてたのは、清少納言らしいセンスだなと思います。キリリと身が引き締まる空気感まで伝わりますね。


それと同時に春夏秋と違って、冬は人の営みが見えることです。

当時は夜明けとともに出勤でしたから、朝一番は宮中がいちばんバタバタとする時で、御所の格子を上げたり、

炭火の用意をしたり、寒さだけでなく、女官たちの緊張感も伝わります。


なんだかホテルの朝食バイキングの会場の緊張感に似てる( ^ω^ )


清少納言はどうして冬だけは、風物ではなくて宮中の様子を書いたのでしょう?


清少納言の出仕は992年の初冬~993年の初春らしいので、初めて見た宮中の緊張感に被っているのかもしれません。

あるいは996年の正月に奉射事件が起きますから、中宮が輝いていた最後の季節が995年の冬だったせいかもしれません。


X(旧ツィッター)を見ると、「枕草子」を暗記させられててよかった~💕というご意見が多々あり、

「枕草子」の良さがこんなに皆さんにわかっていただける瞬間が来るとは思ってなかったので、ドラマよりこっちで泣きそうになりましたw


さて、まひろの方はいよいよ越前に行きましたね。




ほんとの紫式部はちょっと落ち込んでホームシックになったようですが、まひろはいろいろ学んだり、チョウミン(松下洸平さん)と仲良くなったり、楽しそうですね(^o^;)


史実は

ホームシック→京へ帰りたーい❗→結婚しよ❗

となるんですが、どう展開するのでしょう?


この前の道長との逢瀬や周明さんとの新たな恋もありそうなので、

妊娠のための偽装結婚?というのは、今ネットでも言ってる人がいてて、実はわたしもちょっと思っていたんだけど、


娘の大弐三位(藤原賢子)は藤原道兼の息子と結婚するんで、最初はもし道長の子やったら道兼の子とぜーったい結婚させへんわ~と思ってたんです。


でも道兼がめちゃくちゃいい人になったので、まひろはそこを知らないから反対するだろうけど、

まひろの死後なら、道長はもうわだかまりもなく、結婚を勧めそうですよね💧


大弐三位も三位を貰うくらいで、かなりバックが強そうだし( ̄▽ ̄;)


というのは妄想です。失礼しました。


越前では為時パパが現代北京語を話したので、ビックリしましたが、

良く考えたらドラマは現代日本語なので、それでいいのか(^^;)


大学で必修ではなく中国語取ったので、

「我是○○」たぶん「我是越前守」とかなんとかの「我是」だけ聞き取れました笑

「I am...」という意味です。どんなけ初歩やねんとお思いになるかと思いますが、初級しかやってない上にン十年経ってますからこんなものです💧


為時パパ、まだ初級しか話してないけど大丈夫?(´゚ω゚`)


ということで、越前編はパパの中国語にもご注目を❗


次回は「日本書紀」に戻ります。


内容は今回よりちゃんとしてますので、ぜひご訪問下さいませ。