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先週はついに長徳の変でした❗
政治史的には、寛和の変(花山天皇の出家)に並ぶ事件で、道長(柄本佑さん)が政権を握るという前半の山場なので、
「サロンの華」ではすっかり書いちゃってるんですけど(^^;)
ここではあんまり言わない方がと思っていたのですが、
終わったので解放~(*⌒∇⌒*)
あくまでドラマの展開として、面白かったのは、前回にお話しした為時パパ(岸谷五朗さん)の漢詩が、実はまひろ(吉高由里子さん)の作だという展開ですね❗
ドラマの為時パパは、もうじれったくなるほど謙虚で、脂ぎったところのない方なので、あの漢詩を奏上するエピソードは、似つかわしくないなあと思っていましたが、
宣孝(佐々木蔵之介さん)に宋人の話を聞いたこと、為時パパが渡航を企てたぐらい語学力があること、からの
「パパが越前守になればいいのに~」というまひろの気持ち、
常に漢文を勉強している描写、
そこに昔の恋文の返歌ならぬ返詩、
そこまで伏線にして回収したのは、気持ちよかったですねヾ(≧∀≦*)ノ〃
しかも道長が昔の恋文と為時の申文を付き合わせているのを、倫子さま(黒木華さん)に見られちゃってるし(,,・д・)
次への伏線まで用意~💦
あ、源国盛はあのあと落胆のあまり、病気になって亡くなるんですが~💦カワイソ
さて、長徳の変なのですが、
ドラマのとおり、斉信(はんにゃ金田さん)の妹の
三の君のところに伊周(三浦翔平さん)が通い、
四の君のところに花山院(本郷奏多さん)が通っていたのが、
大いなる勘違いのもとだったのです。
花山院は、例の
「よしこ~💕」でお馴染みの忯子ヨシコ(井上咲楽さん)を溺愛します。この人も斉信の妹になります。
もともと即位式で、付き添いの係の女官を高御座に引っ張り込んでいたされた方なので💦
おそらく昼夜を問わずに寵愛されていたのでしょうが、忯子はまもなく懐妊します。
ところが食が細っていたのにもかかわらず、花山天皇が里邸への退出を許したのは2ヶ月後、
その後再び参内するように命じられ、
懐妊中にもかかわらず、花山天皇は昼夜なく添い寝されたということですから、
(ただ横で寝てたわけではなさそうで💧)
いよいよ身体が弱った忯子は、17歳という若さで亡くなります。
今でいうと高校1年生ですから、そもそも最初の妊娠で、かなり若年の妊娠、つわりなどで弱った上に、花山天皇の無茶な行為が死を招いたと思われます。
それでも忯子可愛さのあまり、(道兼に引きずられて)出家してしまうのですが、
忯子の面影を求めてか、僧籍にありながら、妹にあたる四の君のところに通っていたのです。
それで井上咲楽さんがもう一度出るかな?と思っていたのですが、それは出なかった💦
それで花山院奉射事件を伊周と隆家(竜星涼さん)が起こしたときは、僧籍にある花山院からはさすがに言い出せなかったようですが🙊
事件はあっという間に朝廷に知られてしまいます。
では誰が通報したのかというと、ドラマのとおり斉信が通報したと考えられています。
彼は、伊周が大宰権帥、隆家が出雲権守に左遷された当日、参議に昇進し、頭中将から宰相中将と呼ばれるようになります。
これについて「枕草子」には不思議な記述がありますが
これは次回の「サロンの華」で書くことにいたしましょう。
斉信は出世欲が強い人物ですが、
容姿端麗で、忯子のことを考えても、妹たちも美人姉妹だったと思われます。
父の為光(太政大臣、兼家の異母弟)が存命ならば、入内させることもできたでしょうが、斉信の若さと官位ではそれも叶いません。
その自慢の妹のところに通ってくるのが
落ち目の伊周と、
出家した花山院ですから、
内心はなんだかなぁ~(σ´・v・`*)
と思っていたに相違なくw
早く昇進したいというのは、切実な願いだったでしょう。
それだけに、ここで点数稼ぎを❗と思ったのも無理ありませんね。
こうして、奉射事件が明るみに出て、
その後の伊周ら中ナカノ関白家の去就は、ドラマどおりたいへん見苦しいものでした💦
事件が起こったのは正月16日ですが、
とりあえず道長が、伊周に対して陣の定めへの出席停止を申し渡した後、
事件の捜査は一条天皇(塩野瑛久さん)と弾正台別当の藤原実資(ロバート秋山さん)の主導で進んだようです。
二条北宮では、3月はじめに定子(高畑充希さん)が懐妊のため退出していました。(本当は兄弟の不祥事で退出したわけではありません。)
時期的には奉射事件のあとの懐妊の可能性が高いので、伊周らももう少し落ち着いて行動していれば、歴史が変わったかもしれません。
4月24日に、伊周らを左遷(実質流罪)にするように決定されると、
二条北宮では伊周に定子と母の貴子(板谷由夏さん)がすがり付き、ついに検非違使が踏み込んで強制連行をするのですが、
定子はドラマと違ってハサミで髪を切って落飾します。
出家したら、当然公には結婚できませんから、後宮に戻れません。
単に天皇の処置に絶望したというより、
そうすれば一条天皇が驚いて、自分を翻意させるために伊周らを許すのではないかという、期待を持った抗議であったと解釈できます。
けれどもこの行為は、一条天皇の勅命への抗議、もっと悪くいえば、
自分の身をもって一条天皇を脅迫しているわけですから、朝廷内ではすっかり引かれてしまいました(((((((・・;)
ドラマでは検非違使の刀を抜いて……となりましたが、その方が錯乱している感じで、悲劇的に見えるからですね。
実際、定子はこの後、登華殿には戻れず、中宮職の役所にある「職の御曹司」での生活を余儀なくされます。
ドラマで変装した清少納言とまひろがここに遭遇するのは、
ドラマでは軽く触れられていましたが、道長方だという噂を立てられて、同僚からのシカトにあった清少納言に、定子出家の事実を認識させるためですね。
この前の、あのワカメ事件のころです。
橘則光も斉信の家司(家来)だったので、二人とももはや定子の周りには来ないでしょう。「枕草子」から斉信が消え、則光と疎遠になったと記されたのは、この事件がきっかけだと思われます。
こうしてみると、ドラマがそう大げさに書いているわけではなく、中関白家自体が非常に見解の甘い、脆弱な存在であったように思います。
5月1日、早朝、一条天皇は宣旨を降して、ついに中宮の御所を捜索させます。
ところが、この時捕えられたのは隆家だけで、伊周はすでに逃亡、3日後に僧形で姿を見せ、数日後に配所に向けて出発しました。
伊周の母貴子は、出立の車に取り付いて同行を嘆願したが許されません。
その後、病の床に就いた母を思って、10月には伊周が密かに入京し、定子の御所に入りますが、
中宮大夫 平生昌ナリマサらの密告により、11日に捕えられ、配流されます。
伊周と貴子は、子離れ、親離れができていないし、
定子も自分への寵愛を頼んで、罪人の家族を庇おうとするし、
政治の頂点に立つものとして、義務感も責任感も無さすぎです。
歴史的には、高階貴子の父、高階成忠らの権力欲が強かったためとも(東三条院=吉田羊さんの呪詛は、成忠の行為とされている)いわれますが、
貴子もお受験にまい進し、人間教育をおろそかにして、優秀な我が子を溺愛するような教育ママを彷彿させます。
中流貴族から、思わぬ栄華を手にしたため、何かしら自分たちが優れているという錯覚を持ってしまったのでしょうか?
もう少ししたら待望の皇子も生まれたのに、
そうすれば兼家のように一発逆転も可能だったのに(´;ω;`)
中関白家の崩壊は、今でもありそうな
(ナッツリターン事件とか)気がします。
対照的なのが、穆子(石野真子さん)ですね。右大臣家の大刀自として、権力よりももっと上に立つもののあり方を教えている気がします。
ご主人の苦労(小さいハゲ)もよく分かっていらっしゃる(^^)
ネットでは
東三条院(吉田羊さん)の呪詛が自演か?
倫子の自演か?と意見が出ているようですが、これから先もますます面白くなりそうです(^^)
一段落ついたので、また「サロンの華」も書こうと思います。
これからもよろしくお願いします。