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いよいよ道長(柄本佑さん)が政権のトップに立つわけですが、雌伏のときを経ていよいよー
ということなら、長徳の変が7月頃かと思っていたら、意外に進むのが早いですね。
為時パパ(岸谷五朗さん)が越前の守になるのは道長の推しがあったので、これで越前編になるんですね。
「日本紀略」によると、
藤原為時は長徳2年(996)正月25日の除目で淡路アワジ守に任ぜられたが、3日後の28日に右大臣藤原道長が参内して、越前守に任ぜられたばかりの源国盛を停めて、藤原為時を淡路守から越前守に変更した、ということです。
これについては、「今昔物語集」「古事談」などに子細が載っています。
一条天皇の時代に源国盛が越前守に任ぜられた。
藤原為時は
「苦学寒夜、紅涙霑襟、除目後朝、蒼天在眼」
の句を女房(女官)を通して奏上、一条天皇はこれを見て食事も喉を通らず、寝所に入って泣いた。
藤原道長が参内してこれを聞き、自分の側近(『今昔物語集』では乳母子)で、越前守に任じられた(おそらく道長の推挙と想定される)ばかりの源国盛を呼び越前守を辞退させて、代わりを藤原為時とする除目を行った。
その時、越前守を譲らされた源国盛の家では嘆き悲しみ、国盛は衝撃のあまり病気になってしまい、秋の除目で播磨守に任じられたが病は癒えずとうとう死んでしまった。(Wikipediaより)
国盛は道長の家司ですが、これが「まひろのためだ~💕」だったら、源国盛は浮かばれませんね(^o^;)
とりあえず、下国の淡路と大国の越前では収入が違ったようです。
律令制確立に伴い、朝廷は地方行政区画を設け(国郡制)、政治力・経済力や土地面積・人口などの国力により地方諸国を四等級に分けました。
日本海側の玄関口のひとつであった越前と、瀬戸内海の島の淡路では、越前の方が豊かで、国司の地位や収入でも差がありました。
藤原宣孝(佐々木蔵之介さん)は、上国の筑前守チクゼンノカミと、途中で大宰少弍ダザイショウニ(大宰府の三等官)を兼ねていました。
地方官の筑前守と違って、大宰府は外交機関で、交易も取り仕切っていましたし、大宰府の長官の大宰帥ダザイノソチは、親王の名誉職で、大宰大弍が次官とは言えs実際は長官、大宰少弍は次官みたいなものなので、そりゃあ羽振りはよいでしょうね(^^)
ちなみにですが、大宰の長官を「帥ソチ」というのは、邪馬台国の伊都国におかれた交易の検察官「一大率イチダイソツ」に由来してる説があります。
さて、「サロンの華」でふれたように、
道長推しの清少納言は、この頃から同僚女房のシカトに合い、誰にも場所を言わず里下がりをしてしまいますが、そこはナシですね(´-ω-`)
まあ、これからの定子周辺を描くのに、彼女の目線が必要だから仕方ないかな(^^;)
この前の螺鈿の箪笥に対しての
少納言(ききょう=FSウイカさん)の中宮様万歳の捉え方と、
まひろ(紫式部=吉高由里子さん)の貴族に批判的な目線は対照的で面白かったですね。
あと、さわさん(野村麻純さん)が
めぐりあいて……の歌の相手になりそうな予感(*´艸`*)
これからまひろは越前でもっと広い世界にふれますが、道長はどうなるのでしょう?
史実ではそこまで政治改革などをやってるわけでなく、(花山天皇などは改革路線が描かれていましたが、史実です。)
まひろの希望通りになるかは難しい。
これから先、道長は権力に染まっていき、まひろの薫陶を受けた彰子が別の道を選ぶのか、大石静さんの手腕に期待したいと思います。
「サロンの華」はちょうどネタバレになるような時期になりますので、ドラマの方で長徳の変が終わってから再開したいと思います。
次は「日本書紀」で、よろしくお願いいたします。