ご訪問ありがとうございます。


前回はききょう=清少納言(ファーストサマーウイカさん)が登場、

(ご本人が曰く)「肩をぶん回して」いたのですがw


清少納言の出仕は995年頃、息子の橘則長ノリナガは982年生まれなので、まあまあ元服ゲンプク(成人式)ぐらいにはなっていたので、あそこまでのぶん回し方ではないのかも~(^^;)


それよりご主人の橘則光ノリミツとは、二人とも10代の終わりに結婚し、別れたあとも「兄セウト・妹イモウト」と呼び合う不思議な関係として有名で、それにまつわるエピソードもあるのですが、


これを書いてしまうと長い( ̄▽ ̄;)


ちょっとこれは次に置いておいて、

今回はたぶん視聴されたかたがよくわからなかった「二后並立」についての説明を、と思います。


というのは、この「二后並立」を利用して、とんでもないやり方で、道長が権力を握るので、

ぜひわかっておいていただきたい事件なのです。


(しかしドラマの道長と、このとんでもない道長がどう繋がるんでしょう?SWのアナキン=ダース・ベイダー並みの闇落ちだわw)


さて、当時は天皇がコロコロ変わりました。少しさかのぼって村上天皇から説明します。


村上天皇は「延喜・天暦の治」の「天暦の治」の方の天皇で、摂関を置かずに親政を行いました。


といっても、藤原氏の勢いは強く、親政は名ばかりだったと思われます💧


村上天皇の皇后は藤原安子なのですが、

彼女は皇后ではなく「中宮」と呼ばれていました。何で?


「中宮」という言葉の意味は、宮の中心=内裏から、天皇の後宮、さらにその中心である「皇后の住居」をさしました。


江戸時代でいえば、「中奥、大奥」みたいなものです。そこにいる人が奥方になるのですから、

そこに住む皇后その人を指して「中宮」と呼ぶようになってきます。


そこで大宝律令(701)では、

皇后、皇太后(先代の皇后)、太皇太后(先々代の皇后)のお世話をする役所として「中宮職チュウグウシキ」が設けられました。


ところが、文武天皇は皇后がおらず、元明・元正天皇は女帝、ということで中宮職は有名無実になっていました。


そこで聖武天皇の時、母の藤原宮子(皇太夫人)に奉仕する役所として、中宮職が設けられ、宮子を中宮と呼ぶようになりました。


この後、皇后安宿アスカベ媛が皇后になると(光明皇后)、本来は皇后に奉仕する役所の中宮職が、正式の后でない宮子(文武天皇夫人)に奉仕してしまっているので、皇后のお世話も一括してするのは失礼だと「皇后宮職」ができてしまいます。


こうなると今さら抹消できないということで、中宮職はもっぱら天皇の生母の皇太夫人用になり、

光明皇后が皇太后になると「皇太后宮職」(当時は紫微中台)、さらに平安時代の仁明ニンミョウ天皇の女御ニョウゴ藤原順子が太皇太后になると「太皇太后宮職」がおかれます。


けれども淳和ジュンナ天皇の後の6代は皇后がおらず、

仁明天皇ー女御藤原順子文徳母→皇太后

文徳天皇ー女御藤原明子清和母→皇太后

清和天皇ー女御藤原高子陽成母→皇太后

陽成天皇ー在位中后妃なし

光孝天皇ー女御班子女王宇多母→皇太后

宇多天皇ー女御藤原胤子醍醐母贈皇太后


と、女御(この頃定員=3人のある夫人から呼称が変わって定員がなくなった。)から、天皇の母となって皇太后になると言うパターンになりますが、


律令制への回帰をめざす醍醐天皇の時、

藤原穏子を立てて皇后とし、中宮職が復活します。この時に「中宮」は皇后をさす言葉になります。


そして彼女の生んだ子、朱雀天皇、村上天皇が即位すると共に、

皇后穏子は、皇太后、太皇太后となりますが、律令通りに中宮職が、そのお世話を担います。


朱雀天皇は皇后を立てませんでしたが、

村上天皇の皇后藤原安子が立つと、

穏子は皇太后、

冷泉天皇の皇后昌子内親王の時は、

穏子が太皇太后、故人の安子が贈皇太后となり、

三代の皇后を中宮職がお世話していました。

初めて大宝律令通りになったわけです。


さて、ここから天皇の交代が早まります。


冷泉天皇は、精神的に不安定で2年で退位し、昌子内親王は皇太后になります。


次の円融天皇(坂東巳之助さん)は、ご存じの通り、御子を生まなかった藤原媓子、崩御後は藤原遵子(町田啓太さん演じる藤原公任の姉)を皇后にしちゃいます。

この時に皇太后宮職を作ったので、

中宮職は皇后専属になり、皇后=中宮という概念が生まれます。


そのせいで、花山天皇は在位2年で皇后はなかったのですが、


一条天皇が即位すると、生母藤原詮子(吉田羊さん)は皇太后になるので、


太皇太后ー冷泉皇后昌子内親王

皇太后ー円融女御、一条母藤原詮子(吉田羊さん)

となりますが、

子供のいない遵子は皇太后を天皇の生母の詮子にとられてしまい💦

皇后のままに(^^;)


ということは


皇后               天皇            女御・天皇生母

昌子内親王ー冷泉天皇

    藤原遵子ー円融天皇ー藤原詮子


って円融天皇のところでダブってる~❗


そこで一条天皇の皇后が立てられないので、太皇太后宮職、皇太后宮職に続けて皇后宮職を設け、

新たに藤原定子(高畑充希さん)を一条天皇の皇后だけど中宮職がお世話する「中宮」にしたのです。


先例もなにも、円融天皇から三后の役所を別々にしたので、中宮=皇后になったのも2代前だし、まあ律令の規定に三后しかないので揉めるには揉めるんですが、そこまでのことではない。


一条天皇には一条天皇の皇后が要るんですよね。

どっちかというと、律令を原則主義で考えるか、便宜的に考えるかで、


一条天皇に中宮定子がいるのに、一帝二后という変則を作った道長の時とは違うんやけど~💦

と思うのですが、道長が準主役なので、道隆(井浦新さん)がヒールになっちゃってますね~💦


「枕草子絵詞」より 仲睦まじい一条天皇と定子


たいへんややこしい説明でしたが、

この後の定子の悲劇に直結する問題ですので、この時と

定子が皇后になるときが違うのをご念頭に、ドラマをお楽しみくださいませ。