ご訪問ありがとうございます。


春場所真っ只中の大阪府立体育館(エディオンアリーナ大阪)





週一でこの前を通るので、3月は準備中も入れて3回ほどこの景色を見られます。


混んでて大変なんだけど、不祥事やコロナでないことが続くと、寂しいものです。


さて、タイミングよく、垂仁天皇のところの相撲の起源伝承なので、そこだけでも書いておこうと思います(^∇^)


垂仁天皇7年秋7月7日、側近の者が

「當麻邑タギマノムラ(奈良県葛城市當麻タイマ)に勇猛果敢な者がおり、當摩蹶速タギマノケハヤといいますが、その人のようすは力が強く、動物の角を砕き、鉤カギ型の金属も伸ばしてしまう。つね日頃から周りの人に

『四方八方を探しても、わたしの力に並ぶものがいるだろうか?どうにかして強力な者に出会って、生死をかけて、全力で力競べをしようではないか。』と言っています。」と申し上げた。


天皇はそれをお聞きになって、群臣に

「わたしも、當摩蹶速は天下の力士チカラビトだと聞いた。他にこれに並ぶ者がいるだろうか?」と仰せになった。


その時一人の臣下が進み出て

「私めが聞いたところでは、出雲国(島根県東部)に勇士イサミビトがいて、野見宿禰ノミノスクネといいます。試しにこの人を召し出して、蹶速と戦わせてみたいと思います。」

と申し上げたので、

即日、倭直ヤマトノアタイの先祖の長尾市ナガオチを派遣して、野見宿禰を召し寄せ、

ここに野見宿禰は、出雲より都に参上したのだった。


そこで(天皇は)當摩蹶速と野見宿禰に、捔力スマヒ(力競べ)をさせた。

二人は相対して立ち、それぞれが足を上げて踏みあった。(野見宿禰は)當摩蹶速のあばら骨を踏み折り、またその腰を踏み砕いて殺した。


えええええΣ(Д゚;/)/


下半身勝負⁉️


相撲ちゃうやん(@ ̄□ ̄@;)!!


と、お思いでしょうが


たぶん四股を踏むっていうのはこういうのの名残ではないのかな~?


スサノオが高天原に来たときに、武装した天照大神が地を踏み鳴らすという描写がありましたが、強さを示す動作みたいです。

(ラグビーのニュージーランド代表が試合の前に踊る「ハカ」みたいな感じかも……だとしたらマオリ族だしポリネシア系?)


で、捔力から角力スモウの字ができてて、角界っていうんでしょうし、力士もここに書かれていますから、いちおう起源ということになって、

野見宿禰は相撲の神様です。

墨田区の野見宿禰神社は、相撲関係者によって明治17年に創建されたもの。


しかし、踏みあって?キックボクシングの下半身だけみたいな勝負w


ちなみに土俵ができたのは近世になってからなので、古代ではどっちかが降参するか再起不能になるまでやってたんでしょうかねえ( ̄▽ ̄;)


さて「相撲は神事」といいますが、

「日本書紀」に謂われはありません。ただの殺しあいです(´゚ω゚`)


どうも中世に神社の祭りの余興で、村相撲が行われたので、相撲と神事が結び付き、米の豊作凶作を占ったりし始めたのが起源なようで、

戦前には「女相撲」もあったので、女性の政治家が表彰のために土俵に上れないというのは、「日本書紀」から見ると

なんだかな~って思いますよ。


天照大神も四股踏んでるし💧



さて後日談


(天皇を)當摩蹶速の土地を取り上げて、すべて野見宿禰に与えました。これがその邑(當麻邑)に腰折田コシオレダという名の場所がある由縁である。そして野見宿禰はその土地に留まり、天皇に仕えた。


この話はサホビコの叛乱と、丹波の五人の后妃の話とそれに続くホムツワケ王の白鳥の話の間に入っています。


野見宿禰はもう一度登場し、けっこう大きな業績を残しますので、それはその時にお話ししますね。


今回は短めですが、次が「倭姫巡幸」なので、また別にお話ししたいと思います。


次回もまた、ご訪問をお待ちしております。