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さて崇神天皇も最後です。


62年秋7月2日、(天皇は)詔を発して


「農業は天下の大きな基礎であり、民が頼りにして生きていくためのものである。


今、河内の狭山サヤマ(大阪府大阪狭山市)の埴田ハニタ(粘土質の田)は水が少ない。そのために、その国のお百姓たちは、農業に力が入らない。


そこで沢山の池溝ウナネ(用水路)を掘って、農業を広めなさい。」と仰せになった。


冬10月に依網ヨサミの池(大阪府堺市池内)を造る。 

11月に苅坂カリサカの池・反折サカオリの池を造る。一アルに云うには、天皇は桑間クワマ(大阪市住吉区粉浜?)の宮におられて、この3つの池を作ったと云う。


ここで農業振興のために、ため池や用水路を作ったとあります。

依網ヨサミは今の大阪市南部から大和川を挟んで堺市、松原市にまたがる地名で、江戸時代まで大和川は北の方に流れていたので、ここにはなかったので、ため池が必要だったのでしょう。


今でも大阪府南部は瀬戸内気候で雨が少ないので、うちの回りもため池が多いのですが、

本当にひと夏の間、夕立すら降らなかったこともあったので、ため池がないと大変だと思います。


65年秋7月、任那ミマナ国が蘇那曷叱知ソナカシチを派遣して朝貢してきた。任那は筑紫から二千里あまり、北の方へ海を隔ててあり、鶏林シラキの西南になる。


これをもって、崇神天皇=ミマキ天皇が半島のミマナからきたという説がありますが、

騎馬民族説なども最近は支持する方も少ないので、普通に

国内を治めたので、外国から使節が来たということでいいと思います。


任那については昔から日本の支配下だったという、律令時代の認識があったので、古くから付き合ってます(*`Д´)ノ!!!と主張しないといけなかったのでしょう。

実際、「魏志倭人伝」は、半島南岸の狗邪韓国を倭人の国の中に入れています。



(崇神)天皇は皇位を継がれて

68年の冬12月5日に崩御された。時に年齢は120歳であった。

翌年秋8月11日に、山邊道上ヤマノベノミチノヘノ陵に葬り申し上げた。


なお、山邊道上陵は、考古学的にはヤマト王権の大王墓の1つとされ、

白石太一郎氏のご研究によると、初代大王墓とされる箸墓古墳(桜井市箸中)からは数代後に位置づけられるということです。



推定初期大王墓(築造順)


(1)箸墓古墳(ヤマトトトビモモソヒメ墓に治定)

桜井市箸中 278m

(3C後半?、特殊器台出土)

纒向遺跡内


(2)西殿塚古墳(手白香皇后陵に治定)

天理市中山町  230m 

(3C後半?、特殊器台出土)

東側に138mの東殿塚古墳(4C前半?)と並列、

連続築造と見られる。

手白香皇后は6Cの女性なので、西山塚古墳の被葬者が妥当とされる。


(3)桜井茶臼山古墳

桜井市外山 207m

(3C末?、103面分の銅鏡破片)

磐余や阿部に近く、阿倍氏の祖大彦命墓説も…、邪馬台国を卓越した王権とも。三角縁神獣鏡4面出土、外濠外に北部九州系の宗像神社



(4)メスリ山古墳

桜井市高田 224m

(4C初頭、器台型大型埴輪)

阿部に近いので、大彦命の子武淳名川別の墓とも…。三角縁神獣鏡出土。


(5)行燈山古墳(崇神天皇陵に比定)

天理市柳本町 242m

(4C前半)

西側にある同時代の大和天神山古墳(103m)は、1960年の発掘調査で竪穴式石室から内行花文鏡4面などの銅鏡23面を含む副葬品多数が検出され、陪塚かと言われている。


(6)渋谷向山古墳(景行天皇陵に比定)

天理市渋谷町 300m

(4C中頃、石枕、形象埴輪出土)

奈良県第2位、柳本古墳群最大




最近は纒向遺跡との関わりで、箸墓が崇神天皇陵とする意見も多いようです。


実際崇神天皇が「ハツクニシラス天皇」として造形されているだけで、三輪王権には何代かの王がいた可能性もあるので、この天皇の御陵がこれ❗というわけにもいかないのですが、

連続して王墓がいとなまれていたことは、王権が続いていたことを推測させます。


ところが313~314年に、高句麗の攻撃を受け楽浪郡、帯方郡が滅亡すると、

大陸との交渉の窓口は絶たれ、

同時に博多湾交易の中心であった福岡市の西新町遺跡、ここには最盛期の半島系、列島内諸地域の土器の出土が集中していたのですが


古墳時代前期後半(4世紀~)には半島系土器の出土が減少、消滅し、福岡平野の大集落も衰退、

そして出雲の古志本郷遺跡や

大和の纏向遺跡も衰退していってしまいます。


「日本書紀」によるなら、3世紀後半の崇神天皇の時代に出雲への干渉が始まるわけですが、せっかくの成果も半世紀後には水泡に帰したということになりますね。


さて、こちらはまだまだ三輪王権が続きます。


次回からは垂仁天皇になります。


物語の多い部分ですのでお楽しみいただければ幸いです。


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