天照大神

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今回からは天照大神が高天原の主宰神として活躍?することになり、

これまで抽象的だった神話に具体的な地名や、人間的な神様が出てきて、
もしかしたら実際の歴史を反映してるのではないかと言われるところに入ってきます。

まずは「日本書紀」本文から(*´∀`)つ

素戔嗚尊スサノオノミコトが
「私はそのお教えに従って、根の国に行こうと思います。そこでしばらく高天原に参上して、姉上にお目にかかってのちに、お別れをしたいと思います。」と申し上げられた。
(伊奘諾尊イザナギノミコトは)「分かった。」とおっしゃった。そこで(素戔嗚尊は)天に昇り参られた。

このあと、伊奘諾尊は、神様としてのお仕事をすベて終えられて、あの世に赴こうとされた。
この時に、幽宫カクレミヤを淡路アワジの洲クニに造って、静かに永く隠れられた。
亦マタ言うには、伊奘諾尊はお仕事をすでに終えられた。徳もまた大きかった。
そこで天に登られてご報告された。それで日の少宮ワカミヤに留まられてお住まいになったともいう。

淡路島には現在も伊佐奈伎神社があります。そこがイザナギの墓所というわけですが、この二人の代から神様が子を生み、そして亡くなるという展開になります。

素戔嗚尊が天に昇られる時、大海も轟き波立ち、山岳もそのために鳴り唸った。
これはそのご性質の猛々しさからの現象である。

天照大神アマテラスオオミカミは、もとから素戔嗚尊が荒っぽくヤンチャなことをご存じで、やってくる様子をお聞きになると、顔色を変えて驚かれ、
「我が弟がやってくるのにどうして善いことを思って来ることがあるでしょうか?思うに、きっと国を奪おうとする志があるのでは?
父母はすでに、それぞれの子供たちの分担を決めて、それぞれの境界を設けられた。なぜ自分が行くべき国を棄ておいて、わざわざこの場所を窺うのか?」
とおっしゃって、
すぐさま髮を結いあげて髻ミズラ(男子の髪型)とし、裳(ロングスカート)の裾を引きからげて袴(ズボン)のようにして、
そこで大きな玉飾りを髪や腕に巻きつけ、背には千本の矢を入れた矢入れと五百本の矢入れを負い、腕には立派な高鞆タカトモ=防具をつけ、弓弭ユハズを振り立て剣の柄を握り、固い庭の地面をも足で踏みぬいて、土を雪のように舞いあげ、威力のある雄叫びをあげ、力強い責め言葉で、直接(素戔嗚尊に)詰問された。

おっかない(>_<)お姉ちゃんですが……

これをもって天照大神を男神とする意見もあるのですが、
すぐさま髮を結いあげて髻ミズラとし、裳の裾を引きからげて袴のようにして、
とあるので、普段は垂髪で裳(ロングスカート)を着てたので、
女神ですよね(´^ω^)
これが髻ミズラ(角髪)👉️ 

似たような男装は神功皇后にもあり、

皇后は橿日カシイ宫(香椎宮)に帰りつくと、髪を解いて海に臨んで、
「私は神々の教えをうけ、皇祖の霊に頼って、青海原を渡って自ら西方を征討したいと思う。そのために頭を海水ですすごう。もし霊験があれば、髪がひとりでに分れて二つになっておくれ。」とおっしゃった。
そこで髪を海に入れてすすがれると、髪はひとりでに分れた。皇后は分れた髪をそれぞれに結いあげられて、髻ミズラにされた。(神功皇后紀)

このあとが「三韓征伐」なので、女性でも戦うときは男装をしたようです(^^;)

素戔嗚尊はお答えになって、
「私は始めから汚い心はありません。けれども父上、母上の厳命があって、すぐに根の国に行こうとしております。ただ姉上にお目にかからずに、私はあちらに行くことができなかったのです。
そのために雲霧を踏み分けて、遠くからやって参りました。まさか姉上がお怒りになるとは思いもかけなかったのです。」とおっしゃった。

その時、天照大神がまた尋ねて
「もしそうなら、そなたの清い心を何で証明するのか?」と言われた。

素戔嗚尊は答えて
「どうか姉上と共に誓約ウケイを行いたいと思います。誓約ウケイの中に必ず子を生むことを入れましよう。もし私の生んだ子が女児ならば、私に汚い心があると思って下さい。もし男神功皇后ならば清い心であるとして下さい」

ここの部分は「古事記」にもありますが、なぜか女児の方が清明で、男児が悪しき心ということになっています。
どうも儒教が入ってから、儒教的な男尊女卑になったのだろうと推測されていますが、じゃあ日本古来は女尊男卑なのかというのもよく分かりません。
どうも話の解釈の違いであるような気もするので先に進みます。

そこで天照大神は、素戔嗚尊の十握トツカの剣を借りて三つに折って、天の真名井マナイで振りすすいで、カリカリと嚙んで吹き出す、その息吹の細かい霧から生まれ出た神を、名づけて田心姫タコリヒメとい申し上げる。次に湍津姫タギツヒメ。次に市杵嶋姫イツキシマヒメ。全部で三柱の女神であらせられる。

素戔嗚尊は、天照大神が頭頂と腕に巻いていた、八坂瓊ヤサカニの五百箇イオツの御統ミスマルをいただいて、天の真名井で振りすすぎ、カリ力リ嚙んで噴き出す、その息吹の細かい霧から生まれられた神を、名づけて正哉吾勝勝速日天忍穂耳尊マサカアカツカチハヤヒアマノオシホミミノミコトと申し上げる。次に天穂日命アメノホヒノミコト。これは出雲臣・土師連の先祖である。次に天津彦根命アマツヒコネノミコト。これは凡川内直・山代直らの先祖である。次に活津彦根命イクツヒコネノミコト。次に熊野櫲樟日命クマノクスビノミコト。皆で五柱の男神であらせられる。

このとき天照大神は、表明されて
「その元を尋ねれば、八尺瓊の五百箇の御統は私の物である。だからこの五柱の男神は全部私の子である。」とおっしゃられた。そこで引取って養われた。
また、表明されて
「その十握の剣は、素戔嗚尊のものである。だからこの三柱の神はすべてそなたの子である。」と仰せになった。。

「古事記」の方は
十握の剣から天照大神が生んだのが、
多紀理毘売命。亦名、奥津嶋比売命
次に市寸嶋比売命。亦名、狭依毘売命
次に多岐都比売命。

八坂瓊御統からスサノオが生んだのが、
正勝吾勝勝速日天之忍穂耳命。
天之菩卑能命。
天津日子根命。
活津日子根命。
熊野久須毘命。
とほぼ同じで、

天の真名井に振り滌ぎて、佐賀美邇迦美サガミニカミて、吹き棄つる気吹の狭霧に成れる神の御名は、正勝吾勝勝速日天之忍穂耳命。(「古事記」)

という地の文も「日本書紀」と同じなので、ここは同史料に基づいていると思われます。

しかし「日本書紀」では八坂瓊御統から男児が生まれたのでスサノオは赤心(良い心)❗♪ヽ(´▽`)/となっていながら、子供の所属は、三女神がスサノオ、五男神が天照大神で筋が通らないのですが

一書に曰く(第三)
日の神(天照大神)が素戔嗚尊と天安河アマノヤスカワを隔てて、向かい合って誓約ウケイをした。
日の神は、
「お前にもし仇なす心がないならば、お前の生む子はきっと男子だろう。もし男子を生んだら私が自分の子として、高天原を治めさせよう。」とおっしゃった。

そこで日の神が十握剣を食べ、お生まれになった児は、瀛津島姫命オキツシマヒメ、亦の名を、市杵嶋姫命。(中略)

その時には、素戔嗚尊はその左の髻モトドリに巻かれていた五百箇イオツの御統ミスマルの瓊タマをロに含んで、左の掌の中において、男神を生じさせた。
そこで素戔嗚尊は、言挙げして
「正哉吾勝ちぬ(今こそ私が勝ちました)。」とおっしゃった。
それで、この言葉によって名づけて、勝速日天忍穂耳カチハヤヒアメノオシホミミ尊という。(中略)

このように、素戔嗚尊すさのおのみことの生んだ子は皆男神であった。

それで日の神は、素戔嗚尊がはじめから清き心であることを理解されて、その六柱の男神をとって、日の神の子として高天原を治めさせた。

日の神が生まれた三柱の女神は、葦原中国の宇佐嶋ウサシマに降らせられた。今、北の海路(朝鮮半島への海路)の中にまします。名づけて道主貴チヌシノムチという。
これが筑紫の水沼ミヌマノ君らの祭神である。

この第3の一書の文が一番分かりやすそうです。ここは本文の正哉吾勝天忍穂耳尊と少し違いますが、
スサノオの勝ち名乗りをそのまま名前にしていますね❗

そして天照大神は自分で生まれさせた女神は宇佐に降し、男神も自分の子として高天原を治めさせたということになります。

「魏志倭人伝」でも代々男王が続いたと記されているので、男尊女卑的な考えはなかったとは断定できません。

それでは「古事記」はなぜ女尊男卑なのかというのは分かりません(;^_^A
まさは元明天皇にゴマをすったわけでもないでしょうがw

とりあえず要はスサノオいい人‼️と子供の所属が決まればいいということだけの話だと思います。

この子供たちは、男神はすべて高天原系ですが、長男のオシホミミ尊はニニギ尊のお父さん、アメノホヒ命とクマノクスビ命は出雲において、早くから大和に通じていたと見られる意宇や熊野(出雲)の勢力です。

たいして三女神は「海の正倉院」で有名な沖ノ島を含む宗像大社の祭神で、大和朝廷が北部九州を制圧した4世紀中頃から、祭祀が行われている神様で、
「古事記」「日本書紀」でも一番最初に鎮座地が出て来ます。
とくにイツキシマ姫は丹波の古層の創世記に登場します。他にも弁財天と同一視されて厳島神社、竹生島、江の島で祀られている水の神です。
海洋系の神様だと思われます。

さて、高天原にやってきたスサノオ、これからどうなるのでしょう?

次回もぜひご訪問くださいませ。