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さて、前回ご紹介した国偲び歌の場面ですが、最後の


嬢子オトメの床の辺ベ

我が置きし剣の太刀タチ

その太刀はや


は、草薙剣を意識して歌っていますね。


つまり、天武天皇の死因となった草薙剣の祟りで、草薙剣を熱田神宮に返還したあとでないとこの歌は歌えませんので、

持統朝に加えられた歌と思われます。


それと、その前の3首も「国思歌」として、「日本書紀」では景行天皇の九州征討に出てきますので、

もともと民謡や寿歌のようなものであったと考えられ、

この部分の成立が新しいことが分かります。


こういう歌謡の使い方を見ていると

やはり、「古事記」のヤマトタケル物語はひとりの才能あふれる人物によって書かれていると思います。


兄殺しの発端から、父に恐れられ、辺境の戦いに追いやられたすえに、

妻を犠牲にしてまで、ようやく尾張にたどり着いたものの

自らのミスで敗残の身となりながら、故郷を目指し、故郷の素晴らしさを歌いながら力尽きるという悲劇、


「日本書紀」のつぎはぎが見える文章と比べると、その構成力や筆力に大きな差があるのは、ご理解いただけると思います。


ヤマトタケル物語は「古事記」の中でも、もはや伝承ではなく、物語の萌芽だといえるほどの出色した出来ですが、

そこには大津皇子への哀悼もあり、

この作者がけっして権力者のご機嫌を伺いながら「古事記」を書いてはいないと分かります。


特にヤマトタケルは作者が渾身の想いで書き上げたという感じがします。


けれども一方では、

このような立ち位置にいながら、この作者は歴史編纂の中枢にいたことも、

天孫降臨や草薙剣など持統朝以降に成立した神話をきちんと書いていることからも推定できます。


持統朝には歴史編纂の中枢にあり、

原「古事記」は略体の万葉仮名で書かれた文があり、また「高光る」といった持統朝以降の特殊な枕詞を使い、


そして「日本書紀」の完成期である平城京遷都までには、歴史編纂の中枢を離れていた人物。


こういった条件を重ねると、やはり柿本人麻呂が原「古事記」を書いたのでは?という推定を捨てることはできません。



正史である「日本書紀」では、天皇と日本武尊の仲はいいし、日本武尊は天皇のために身を粉にして戦った英雄でした。


そしてその姿は戦前には、兵士のあるべき姿として喧伝されていました。


その反動で、戦後は皇国史観だ❗として「日本書紀」は顧みられず、久しくヤマトタケル物語は「古事記」をもとに研究されてきました。


わたしも若い頃は「日本書紀」にはあまりなじまずにきたのですが、

こうやってブログに書いているうちに

「日本書紀」のほうがもとの史料の残闕が紛れているんじゃないか?という考え方にいたりまして(^^;)


むしろ「古事記」のほうが(昔からの伝承としては)あまりに素晴らしすぎる⁉️と思うようになったわけです。


そうするとつぎはぎで、コピペもある、お役所仕事の(ここまでいうかw)

「日本書紀」は

意外と原史料の手がかりを残しているように見えてきたのです。


これまでは学会の通説も、

定説を批判し、独自の歴史解釈を展開する方も

「日本書紀」には批判的でした。


確かに「日本書紀」も「古事記」も嘘八百で書かれています。


天皇家のみならず、豪族たちもみんな自分の氏族が古くて、活躍したんだと言いたいんだから仕方ないですw


けれども一方では、外国の史書とつきあわせ、頭を悩ませている編纂者の姿も垣間見えます。


それで、国内伝承より外国史書を重要視して書いた結果、

1200年も経って「欽明・安閑宣化二朝並立」論が論じられるのですが、

結局通説にはなりませんでした、ということもおきます。

(本人は後世の人が解明するだろうという言葉を残しますが、1200年経って彼の予想が当たったわけです。)


これに関しては国内伝承を採用すれば、矛盾はなかったんですけどね(;^_^A


「古事記」「日本書紀」では天皇の寿命も長いし、架空の天皇も何人かいそうですが、

これも本来4世紀末の神功皇后を、「魏志倭人伝」に載ってる3世紀中頃の卑弥呼に比定したため、干支を2周(120年)繰り上げたためにずれたと言われています。


どうも「日本書紀」を書いた編纂局の人は、学者肌の人が多かったようです。

(中にはヤマトタケル担当のコピペおじさんもいますけどねw)


ですからヤマトタケルの最期の差が、

「古事記」「日本書紀」の差が最も顕著だということなら、

「古事記」では削除された景行天皇の九州征討をもう一度見直してみたいと思います。


それでヤマトタケルの最期の道程をたどり終えた今、倭彦考はここで終わり、


次回からは

ヤマトタケルからそれますが、景行天皇の九州征討について見ていこうと思います。




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