焼津の火難



ご訪問ありがとうございます。


今回から舞台は東国、いよいよヤマトタケルがヤマトタケルとして活躍する部分に入って来ました!


まず「古事記」でそのストーリーを追っていきましょう。


そして、尾張国(愛知県東部)に至って、(命は)尾張国造の祖先である美夜受比売ミヤズヒメの家にお入りになりました。

そこでご結婚なさろうとおもわれたのですが、また都へ還る時にそうしようと思われて、婚約をして東国にお出ましになられました。


この部分は「日本書紀」にはありません。

このあと出てきますが、この時ヤマトタケルは后の弟橘比売を伴っていたはずで、弟橘比売にしても美夜受比売にしてもあんまり気のいい話ではなさそうですよね(^^;)


まあ、ここはさほど重要ではないので、

次が有名な焼津の火難になります。


まず「古事記」です。


こうしてここ相武サガミ国に到着されたとき、その国造が詐イツワって申し上げるには、

「この野の中に大沼があります。その沼の中に住まう神はひどく荒れすさぶ神なのです。」ということでした。


そこでその神を視察しようと(命は)その野の中に入って行かれました。


そこでその国造は、火をその野には点けました🔥

そこで(命は)騙されたのだとお知りになって、

そのおば様の(斎宮)倭姫命がくださった袋の口を解き開けてご覧になると、

火打石がその中にありました。


そこでまず、ご自分のご佩刀でもって草を苅りはらい、その火打石を使って火を打ち出し、向い火を点けて(草を向こうの方へ)焼き退けて、


野からご生還なさってから、皆その国造らを斬り滅ぼされて、そのまま火をつけて焼いてしまわれました。

そこでそこを焼津といいます。


これは有名な草薙剣の逸話で知られるシーンです。


でもここに出てくる重要アイテムは

袋(女性用のポーチ👝だと思ってください。)に入った火打石❗


古い話で恐縮ですが、銭形平次や「暴れん坊将軍」のめ組の辰五郎が出かける時に、

奥さんが背中で火打石を打つのですが、あれは安全のおまじないなんですね。


火打石は台所で使うので、女性の持ち物ということでしょうか。ここで叔母の火打石で難を逃れるというのは、前回のおなり神のような「妹イモ」の力を髣髴とさせます。


反対に草薙剣は登場せず、単にヤマトタケルの佩刀が使われます。


しかもヤマトタケルを騙すのは、朝廷に組み込まれているはずの「国造」‼️

明記されてはいませんが、まるで天皇の差し金のように思えます。


では「日本書紀」はどうでしょう?


この年、日本武尊は初めて駿河(静岡県)に到着された。そこのは朝廷に従うふりをして嘘を言い、
「この野には大鹿がたくさんいて、その息だけで野は朝霧のように曇り、その脚の数は林の木々のように見えます。ぜひお出かけになって、狩りをなさってはいかがでしょう。」と申し上げた。

日本武尊はその言葉をお信じになり、野の中に入って、狩りをなさった。賊は、王ミコを殺そうという心があり、王とは日本武尊のことを言うのである(原注) その野に火をつけた。


王は欺かれたと知り、直ちに火打石で火を打ち出し、向かい火をつけて脱出された。一に云わく、王の御佩刀の叢雲ムラクモが、ひとりでに抜けて王の側の草を薙ぎ払った。これによって脱出が可能になった。それゆえ、その劔を名付けて草薙という。(原注)


王は「すっかりだまされてしまった。」とおっしゃった。そして即刻その賊徒を焼き滅ぼされた。それで、その場所を名付けて焼津ヤキツと言う。


不思議なことにここでは、火打石のみが使われ、

後世の書き込みの可能性のある注の「一云」に草薙剣の話が出てきます。


もし火打石の話が、後世ヤマトヒコがヤマトタケルと同一視されてから挿入され、

「古事記」の作者は倭姫命との関係性を重視したけれど、

「日本書紀」の編纂時には、もとの伝承にないことは書かなかった、とも思われます。


じつはここに出てくる「王ミコ」❗

この後の走水の海難や関東制圧にのみ使われている特殊な主語なのです❗


わざわざ注釈が入る、この特殊な書き方の由来は

おそらく「原史料」を丸写ししたということではないでしょうか⁉️


どうもここの話は、もともと関東を制圧した英雄の記録を、そのまま「日本書紀」の本文にコピペしたのでは?と思われます。


ですから本文には倭姫命の火打石も、倭姫命に授けられた草薙剣も出てこないのではないでしょうか。



さて、この草薙剣ですが、もとは「天叢雲劔」アメノムラクモノツルギといいスサノオノミコトが八岐大蛇ヤマタノヲロチのしっぽから出てきたのを、天照大神に献上したものです。


その後になって、天照大神の孫で地上を統治する予定の赤ちゃん、いわゆる「天孫降臨」をするニニギノミコトに与えられたものです。


ただし、そのことに言及している「日本書紀」の本文、本文の注、第二の一書(本文以外の引用先)・第三の一書のうち、

後世の挿入の可能性がある本文の注のみが、もとは天叢雲劔であったと言い、


あとはすべて八岐大蛇の尾から出た時点で「草薙劔と名づく」と書かれています。


もともと「クサ」は獰猛という意味があります。ニュアンス的には関西弁の「えげつない」に近いかも~( ̄▽ ̄;)

「クサイ芝居」とかもいいますけど···

「クッサー❗えげつなー❗」はちょっと違うかなwww(*´艸`*)


「ナギ」は蛇の意味があります。(ウナギとかアナゴはそこから来てるらしいです。)


インド神話には「ナーガ」という蛇神がいますが・・・関係ないのかな?なんだか気になります(〃艸〃)


ですから八岐大蛇から出た時点で「クサナギ」なのは別段おかしいことではありませんし、(えげつない蛇w)


前に述べたように「草を薙いだから草薙剣」という話は「古事記」「日本書紀」のうち、わずかに「日本書紀」の「一に云う」にしかないのです。


つまりこの二つの注記は「ヤマトタケルが草を薙いだから草薙剣」ということのために挿入されたといえます。


ですから今、一般に言われていることと、「古事記」「日本書紀」の記録とはどうも違うようです。


草薙剣はヤマトタケルの行動とはと関係なく、

初めから「クサナギノツルギ」だった可能性が高いのです。


こうやって詳しく見ると、

「王」主語の物語には倭姫命も草薙剣も、本来無関係であったといえるでしょう。


ではこの「王」主語の物語、

これについては次回にまた検証を続けます。


それではまたのご訪問をお待ちしております。