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じつはしばらく、このまま壬申の乱に入ると
以前の分と重なってしまうので
どうしようかなあ・・・と考えておりましたが(気づいたら半月経ってました!)

とりあえず飛鳥時代とかかわる部分をまとめておくと、単なる学校で習う歴史より深掘りできるのでは?と思って
今回は終わったばかりの斉明・天智朝の動きが分かるようにリブログしてみました。

これはちらっと出てきました出雲大社の修造の話です。

じつは斉明朝には出雲大社修造の記事が出てくるのですが、
おそらく孝徳天皇より皇極上皇や中大兄皇子に近かった石川麻呂が亡くなったあと、
石川麻呂の娘遠智娘も後を追うように亡くなり、
大田皇女、鵜野皇女(持統天皇)、建皇子の3人の子どもたちは、皇極上皇のもとに引き取られたようです。

この建皇子は生まれつき言語に障害がありましたが、蘇我氏腹の皇子ということもあり、聡明な質でもあり、皇極上皇はなんとか皇子の病を治したいと思っていたと考えられます。

そこで皇極上皇の脳裏に浮かんだのが、同じように言葉を話せなかったホムツワケ王が、出雲に詣でることで話せるようになったという伝承だったのでしょう。

重祚して斉明天皇となった彼女は、都でも数々の土木工事を行いましたが、同時に出雲大社修造を命じたと思われます。

残念ながら出雲大社修造の記事は、建皇子が8歳で亡くなった後でしたが、この時に出雲大社が大々的に整備されたと考えられます。

ということで出雲大社の記事をリブログしておきます。
ホムツワケ王についてはその前の
「出雲の国の物語 その14」をご覧ください。



次回は天智朝に起きたあの盗難事件です!
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