前回お話しした鉄の遺跡とヤマトタケルの征討ルートについて、今回はもう少し詳しく説明します。

まず、それを地図上に示したものが、
日本放送出版協会から出ている「歴史への招待」25集に掲載されていますので、ごらんください。

ヤマトタケルと鉄

ヤマトタケルの征討ルートは、「古事記」と「日本書紀」ではかなり違うのですが、
点線が「古事記」のルートで、
実線が「日本書紀」のルートです。

それから、こちらは前回も掲載した上田正昭氏の建部の分布の地図です。

建部の分布

東日本に関していえば、鉄の遺跡はかなり散らばっている上に、
建部が設置された6世紀ごろには、大和朝廷の支配権が関東地方か、せいぜい東北南部までであったと考えられるために、鉄と建部の関連ははっきりしないのですが、

西日本に関していえば筑紫(福岡県)日向(宮崎県)出雲(島根県)吉備(岡山~広島県)讃岐(香川県)
近江~美濃~尾張(滋賀~岐阜~愛知県)の分布は、建部の分布とほぼ重なっています。

「歴史への招待」での、森浩一氏の説明では
考古学的には6世紀になると、各地の製鉄の跡がはっきりして来るということですが、
それは奇しくも継体天皇が北近畿から大和入りした時期に一致します。

出雲に関しては特定できないとはいえ、
雄略天皇に徹底的に叩かれた吉備や、
継体朝に建部の設置が行われたと考えられる筑紫、近江~美濃~尾張は、
まさに鉄器の出現と建部の設置が一致するのです。

「歴史への招待」では特に地域ごとに考証することはなかったのですが、
ここで、他の研究の成果を加えながら、各地域について征討ルート順に検証したいと思います。

A 奈良県纏向付近

三輪山の西南麓に金屋遺跡があり、弥生時代の鉄滓(砂鉄から鉄を精錬したときにできる不純物)・ふいごの火口・焼土が出土。
山ノ神遺跡からは刀剣片とみられる鉄片が出土。
穴師兵主神社(祭神…天の日矛)に鉄工跡。穴師とは「鉄穴師かんなし」=砂鉄を選別する職業の人々のこと。

B 播磨

「播磨国風土記」讃容郡(佐用郡)の鹿庭山(大撫山)の四方十二谷は「皆、鐵(まがね)を生ず」とある。
また、地元の伊和大神やアシハラシコヲ(大国主命)とたびたび戦っている天の日矛は、
「古事記」「日本書紀」では「新羅王子」とされるが、
谷川健一氏や真弓常忠氏によると、朝鮮半島から伝来した製鉄文化の象徴であるという。

C 吉備

津島市にある美作一宮の中山神社は、催馬楽(さいばら…平安時代に歌われた歌謡)に、
「眞金吹く吉備の中山」と歌われ、製鉄神金屋彦を祭る。
真弓常忠氏によると、付近に「金山谷」「金山谷口」「金屎」の地名があり、物部氏による製鉄が6世紀から行われていた。
なお門脇禎二氏は、吉備の製鉄が盛んであったにもかかわらず、鍛冶部がないことを指摘しておられる。

D 九州

古くから大陸文化の玄関口であったが、「魏志倭人伝」にいう「伊都国」だと思われる糸島郡からは、広い範囲で鉄滓が出土。製鉄が盛んであったと推定できる。
全国の八幡神の総本山宇佐八幡宮も、頭が八つある鍛冶の翁が出現したことから、鍛冶神ではないかと推定される。
九州ではこのあたりと、豊後水道・日向灘沿岸、有明海沿岸にも製鉄遺跡が多い。

E 出雲

素戔嗚命が降臨した鳥髪は出雲最大の産鉄地で、
「出雲国風土記」にも、この山から流れる斐伊川流域の各郷は
「出すところの鉄堅くして」と語られている。
ヤマトタケルが出雲建を殺した肥河は、この斐伊川である。

F 尾張

尾張の製鉄遺跡は少ないが、春日井市には古代のたたら製鉄跡があり、市内の内々(うつつ)神社には、尾張氏の祖建稲田種公、日本武尊、宮簀媛が祀られる。
また、鍛冶神と思われる八幡三神を祀る伊多波刀(いたはと)神社もある。

G 東海・関東

走水(浦賀水道)を挟んで三浦半島・房総半島、
および常陸国(茨城県)の海岸部一帯には砂鉄の産地が存在し、ヤマトタケルの征討ルートと一致する。
また「古事記」では関東平野から甲府へ行くのに、後世の甲州街道ではなく、神奈川・静岡県境の足柄峠を廻っているが、そこにも古代の製鉄跡がある。

H 東北

「日本書紀」でヤマトタケルの行った「日高見国」は「北上」であるとされるが、
北上山系には現在も鉄分を70%以上を含有する「餅鉄」という鉄鉱石が産出される。
鉄工の町、釜石にはヤマトタケルを祀る神社では最北の尾崎神社があり、
その奥の院のご神体は岩に刺さった鉄剣である。

I 信濃

真弓常忠氏によると、「みすずかる信濃」の「すず」とは、湿地帯の植物の根につく褐鉄鉱の団塊を示すという。
「南宮の本山」とされる諏訪大社も真弓氏によると製鉄の神だというが、それより古いモレヤという土着神が鉄輪を使って戦っているので、こちらが鉄の神で、諏訪大社の本来の祭神だということもできる。
また百瀬高子氏は、信濃では 縄文中期から 製鉄があったという。

J 美濃

大碓命の信仰圏である美濃の南宮大社は、製鉄神の金山彦神を祀り、全国の製鉄業者の崇拝を受けていた。なお、金山彦神の乗り物は「白鳥」である。

K 近江

ヤマトタケルが敗れた伊吹山の付近は、古来からの一大製鉄地帯であった。その地に在住した伊福部(いふきべ・いおきべ)氏は尾張氏の同族であるが、たたらに風を送る「息吹き」「火吹き」が語源であるとする。このことから同地の息長氏も製鉄にかかわるという見解もある。
また、「日本書紀」の天の日矛が在住した「吾名邑」は、「近江国阿那郷」(坂田郡息長村=現米原市)に比定され、
米原市の朝妻・筑摩港には朝妻手人といった韓鍛冶(からかぬち)の存在も推定される。
筑摩神社の鍋冠祭は、今でこそ少女が黒い張子の鍋を冠るのだが、もとは女性が関係を持った男の数だけ鍋をかぶる奇祭で、「伊勢物語」の歌にも詠まれている。しかし本来は鉄の鍋をも使うことから、製鉄とかかわるのではないかとも言われている。
なお、フタジヒメの実家のある野洲市の御上神社の祭神は、鍛冶神である天目一箇神(天御影神)である。

L 伊勢

伊吹山で病身となったヤマトタケルが立ち寄り歌を詠んだ「尾津」に比定される多度大社は、11月8日にフイゴ祭を行い、別宮に天目一箇神、本宮には父の天津彦根命を祀る。
また、ヤマトタケルの最期が描かれる伊吹~三重村(伊勢)に至る部分は、谷川健一氏によると、古代の金属精錬業者が、鉱毒のため身体に障害を負うことの反映であるという。



このように概観しますとヤマトタケルと製鉄には深いかかわりが見えてきます。

それとともにこれらの地域には「天の日矛」に象徴される新羅からの製鉄技術の存在があった事が想像できます。

新羅というのは以前花郎伝説でも出てきましたが、朝鮮半島の南東部にあった国です。
6世紀、7世紀と日本とは緊張関係が続き、
南西部の百済(くだら)と結んだ日本は、663年の白村江の戦いで、唐・新羅連合軍に大敗を喫しますが、
長い間仮想敵国であった新羅との関係が、このように深いのもふしぎなことです。

そこで次回は、製鉄と新羅の関係を追ってみたいと思います。