光堂(金色堂)はあの建物の中にある。
建てられてから芭蕉が訪れるまで およそ600年が経っていた。
『奥の細道』にはだいたい次のように書かれている。
お堂にあった様々な宝物は散り失せて
宝石で飾った扉は風に破れ
金の柱は霜や雪のために腐り
建物は崩れ果て
とっくに草むらとなっているはずなのに
四方を新しく壁で囲い
かわら屋根で覆って風や雨から守った
そのお蔭で1000年もつ藤原氏一族の形見になったのである。
五月雨の降りのこしてや光堂
句だけ読むと 光堂は屋外にあり 雨上がりの青空の下で輝いている。
「五月雨が通り雨のように降って そのあとにこの光堂を残していったのだろうか。」
まだ濡れて 水滴が日の光を反射している金色の堂の前で
そんな不思議を感じながら立ちつくす芭蕉のイメージが湧く。
しかし五月雨は5月に降る長雨だし
光堂はかわら屋根で覆われた建物の中にある。
「五月雨」は先刻の雨ではない。
600年の風雨霜雪をこの一語に込めた。
「食べ残す」が「食べずに残す」であるように
「降り残す」は「降らずに残す」であるから
「600年の風雨霜雪も光堂を傷めずに残したんだなあ。」
地の文からは こんな理解が成り立つ。
だが外側の建物に守られた光堂を目の前にしながら
この解釈でこの句を思い浮かべても少しもぴんと来ない。
家の中にある光リ堂を見て
「五月雨の降りのこしてや」と言っているのである。
現場に立てば句作にも解釈にも無理のあることが分かる。
いくら俳聖の作品でも こんな無理を重ねた句は迷句と言わざるを得ない。
もしも地の文が無く
実際に外側の建物も無いとすれば
「食べ残す」が「食べたあとに残す」とも取れるように
「降り残す」は「降ったあとに残す」と取れるから
「五月雨が降ったあとにこの光堂を残していったのだろうか」
という最初のイメージが正しいことになる。
もしそうなら これはとても素敵な名句である。
金色堂は拝観料800円。
外側の建物の内部に目一杯の大きさで建つ。
実際はHPの写真のように一目で全体が見えるわけではない。
それにそんなに美しくもない。
絢爛豪華に写っているのは写真の詐術。
美しいものはより美しく そうでないものもそれなりに
フジカラーのキャッチコピーの通りだ。
ところで拝観料は 坊主丸儲けで全て中尊寺の収入になるのだろうか。
もしそうなら寺は今 笑いが止まらないほど儲かっている。
「世界遺産の指定により当該世界遺産が得た利益はすべてユニセフに寄付させる」
ユネスコはこの条件の下で世界遺産を指定したらどうか。
中尊寺は青森県の三内丸山遺跡を見習ってはどうか。
こんな金の儲け方はどうも納得がいかない。
世界遺産の名に騙されてこんなものに金を払ったのは失敗だった。
素人が知ったか振りで眺めてもせいぜい5分か10分
すぐに見飽きる。
元を取ろうと長い間見ても
信心がないからありがたみも湧かない。
かえって そねみやねたみといった悪い感情が生じる。
それにこっちは若いころから
金を特別に美しいとは思わない思考回路を作ってきた。
無理のある不自由な回路だったがその思考の中で生きてきた。
今さら変えることはできない。
ただそこは芭蕉の句の現場であった。
そのことだけがせめてもの救いである。
