こんな初歩的なことに気づいたというお話です。


だいたいわかりそうなもんですが


自然な流れが好きだったり


起伏のあることを良しと思わなかったりするのは


これまでの人生で学んでしまったからか。


起伏のある状態、


それは20代から始まった


とてつもなく長かった、モラトリアムな


引きこもり期間が強烈で、


また、元に戻すのにその期間以上かかったから


これに陥りたくない


人生を間違いたくない、


傷つきたくないと


あんな大変なことになるなら


安全な、守られた状態にいようと



思っちゃうんですよ、、、。




実際、大好きな母に


あらたなチャレンジを話すと


やめときなさい、それはうまくいくの?的なことを


言われてしまいます。


不安にさせてしまうので


相談して賛同を得るのではなく


事後報告がベスト。



前にも話しましたが



いつもの日常を生きていたら


なにも起こらない。


誰とも出会わない、いや、出会う


けれども、自分のループに戻るだけなんです。


結局、弓道も自然な出会いではなく


門を叩きましたし


異性と出会うにしても


その門を叩きました。


いまのおしごとも


自分から飛び込みましたし


サーフィンだって


やる機会は自分で作らなければ


一生、やりたいと思っていることで


終わってしまったでしょう。


その環境を受け入れて、


生ききらなければならない時代では


ありません。


こうありたかったら


そうしたからったら


アクションを起こす





とてつもなく


当たり前なことを言いましたが


これは正真正銘、わたしの叡智。


知っていることと、やったことは別の話です。


そんなのわかっているなら


やってください、なのです。



最近ますます、人間の自由を奪う状態や考え方に


ノー!を言うことが増えてきました、ほんと


驚くほどに。


仕方なく、縮こまって、


我慢して生きている人だっていると


そのスケールを正しいと言い切られると


そうではない!


というようになりました。


そこに甘んじることなく


それが嫌なら戦え!と言っている私がいます。



母に


わたしは戦前の人たちに育てられたから


育った価値観から出られないのは仕方ない


と言い切られました。


いや、、、



わたしだって、その母に


散々、みんながやっているように生きなさい


好きなことをだけやってはいけません


我慢しなさいと言われ


それにピン留めされて


身動きがとれなくなり


引きこもるという形になりました。


強烈な矢の嵐に会いたくなかったら


社会のいう通りにするのが身のためだという


ここから出るのが大変なことでした。


まだまだ、マイナスからゼロへ持っていくところに


いますし、反面そんな人たちの気持ちがわかるので


悪いことでもないのですが


もうそれを使って、ゼロからイチ、それ以上へ


いかなければなりせん。


いつまでも、そこにいる自分ではいけない。


だから


自分でつくる!



平等に待たされているキャンバスには


何も書かれていません。


好きに書いてよいのです!



そんなの知ってると?



やっていないなら


知らないことと同じですよ!




やりたいなら


自分で門を叩く!




そんな早朝の気づきでした。