はじめまして、令和マンです。

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最初のブログ内容はタイトルの通りです。

話題の東大入学式の上野千鶴子さんの祝辞について思うことがあり、n番煎じですが感想を記そうと思います。

上野さんの祝辞はこちらで確認してください。

 

フェミニストであり社会学者である上野千鶴子さんは東大の入学式という場で性差別の現状を伝え、社会的弱者である女性への尊重を訴えました。そして、努力が報われない社会に対し自分が努力だと思っていたものが実は環境による賜物なのだという自覚を促し、そこで得たものを社会に還元する必要を説いたその祝辞に共感する人は多いです。




正直、最初に祝辞を目にした時の感想は

「う〜ん、論理が飛躍的やな」

でした。

というのも、この祝辞には因果関係のミスリードと矛盾点があると考えます。




祝辞の冒頭で入試における女子学生の不遇を述べておられます。男子合格率を女子合格率で割った指標は東大理科三類では1.03で、これは男子の方が女子より1.03倍合格している、つまり女子の方が合格しにくいことを意味するようです。


「東京大学理科3類は1.03、平均よりは低いですが1.0よりは高い、この数字をどう読み解けばよいでしょうか。」と仰っているので実際に文科省のデータを確認してみます。


東大の欄を見てみると、1.03という数値は直近6年間の平均から取ってきたものだと分かります。


たしかに平均だけ見ると1をわずかに上回っていますが、例えば28年度の1.31、29年度の0.76のように数値にはかなりバラツキがあります。


そもそも医学部医学科の定員は他の学科と比較した少ないことが一般的で、東大理三の定員も毎年僅か100人程度です。

つまり誤差を考慮する必要があり、これらの数値を統計的に十分信頼できるものとして扱ってはいけないと考えます。


統計は大事です、それをもとに考察が成り立つのですから。」とありますが、その通りです。


この統計データを読み解いた結果、東大理三には女子学生は合格しにくいと一概には言えないということになるでしょう。(他大学のデータを見てもそうです)



次の疑問点は、事実、各種のデータが、女子受験生の偏差値の方が男子受験生より高いことを証明しています。まず第1に女子学生は浪人を避けるために余裕を持って受験先を決める傾向があります。第2に東京大学入学者の女性比率は長期にわたって「2割の壁」を越えません。今年度に至っては18.1%と前年度を下回りました。統計的には偏差値の正規分布に男女差はありませんから、男子学生以上に優秀な女子学生が東大を受験していることになります。(以下略)」という箇所です。


ここは論理の展開が良くない印象です。


まず「各種データ」が不明瞭で説明不足だと感じます。


「女子学生が男子学生より合格しにくい」ことの根拠として第1〜3を列挙されていると読解しましたが、第1の「女子学生は浪人を避けるために余裕を持って受験先を決める傾向があります。」は根拠として無理があります。



また、『偏差値の正規分布に男女差がない』ならば『男子以上に優秀な女子が東大を受験している』という因果関係は明らかに成立しません。


『女子学生の偏差値は男子学生より高い』かつ『偏差値の正規分布に男女差がない』としても「男子以上に優秀な女子が東大を受験する」とは断言出来ません。




「第3に、4年制大学進学率そのものに性別によるギャップがあります。2016年度の学校基本調査によれば4年制大学進学率は男子55.6%、女子48.2%と7ポイントもの差があります。この差は成績の差ではありません。「息子は大学まで、娘は短大まで」でよいと考える親の性差別の結果です。」という箇所もかなり強引です。


男女間の大学進学率の差が親の性差別の結果だと言い切るのは短絡的だと考えます。




次に上野さんはマララさんの話題から学生を取り巻く環境の話へと進みます。


「東大の男子学生はもてます」
東大の女子学生は「退かれます」とキッパリ仰っていますが、これに関しては東大生でない私が口を出すべきでないかもしれませんが「ちょっと考え古いな。東大だからモテる、モテないというのはある種の差別意識なのでは」と感じました。


一昔前までは肩書きがその人の価値を測るための一要素だったのかもしれませんが、今や価値観は多様化しています。モテる理由、モテない理由というのは人それぞれで、性差別の例としては不適切だと言わざるを得ません。


また、「男性の価値と成績のよさは一致している」や「女性の価値と成績のよさとのあいだには、ねじれがある」という言葉にも現代の価値観とのズレがあります。




祝辞の後半で上野さんは、身の回りの環境に感謝することの大切さを説いています。

しかし、少し遡り女性学のパイオニアとしての上野さんの活躍の話を見てみると、「今日東京大学では、主婦の研究でも、少女マンガの研究でもセクシュアリティの研究でも学位がとれますが、それは私たちが新しい分野に取り組んで、闘ってきたからです。そして私を突き動かしてきたのは、あくことなき好奇心と、社会の不公正に対する怒りでした。」とあります。



学生の努力は環境のおかげだと諭し、今日の東大を作り上げてきたのは自分で、しかもその原動力は環境ではなく自己の好奇心と社会の不公正に対する怒りだと主張するのは完全に矛盾しています。



さて、最も意外だったのは終盤で語られる「フェミニズムは弱者が弱者のままで尊重されることを求める思想」というセリフです。



弱者は本当に弱者のまま尊重されたいのでしょうか。なぜ強い弱いがなくなる社会を目指さないのでしょうか。現在スウェーデンでジェンダー論を学んでいますが、まだまだ勉強する必要がありそうです。




もちろん今回の上野さんの祝辞はある種の演説であり、聞く者の心に訴えることが出来るならば細かな論理のミスは重要ではないのかもしれません。しかし、学者である以上持ち出した統計データは最低限適切に使うべきだと思います。


また、フェミニストならではの祝辞であったことはある意味画期的で、多くの議論を呼ぶ影響力のあるもので、私自身大変考えさせられるものであったことは間違いないですが、こと本旨を述べるにあたっては誤解の無いようもう少し直接的な話の組み立て方でも良かったんじゃないかなと感じました。




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