先日、はじめてセミナーを開きました。

終わったあと、参加された方のお話を聞いてみると、
「古神道という言葉が、なんとなく気になって参加しました」
という方が何人もいました。

 

 

 

詳しく知っていたわけではない。
強い信仰があったわけでもない。

ただ、その言葉が心に引っかかった。

それが、とても印象に残りました。

 

 

 

人は、ときどき理由を説明できないまま、ある言葉や景色に惹かれることがあります。

懐かしいような。
知っているような。
でも、うまく言葉にはできない。

そんな感覚です。

 

 

 

 

もしかすると、自分がどこから来て、何を大切にして生きたいのか。
その「根っこ」を、心のどこかで確かめたくなる時があるのかもしれません。

 

なぜとなく
心ひかるる
その言葉
忘れしわれの
ふるさとの声

 

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「いただきます」と言うとき、
私たちは食べ物の命を、自分の命へといただいています。

では、その命を受け取っている
「私自身の魂」とは、いったい何なのでしょう。

 

 

 

魂の座標学では、
誰かに決めてもらうのではなく、
自分の内側にある性質や傾向を確かめながら、
「これが自分なのかもしれない」という感覚へ戻っていきます。

 

 

 

その入口となるのが、
魂の座標学「わたしの魂」です。

現在、より多くの体験と声を集め、内容を磨いていくため、モニターを募集しています。

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体験後、簡単なアンケートへのご協力をお願いいたします。

自分を変えるためではありません。

まず、
自分という命がどんな性質を持っているのかを、静かに確かめてみる。

そんな時間です。

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日本人は、自分は無宗教だと言う人が少なくありません。

それでも神社では頭を下げ、食事の前には「いただきます」と言い、粗末にした食べ物にはどこか申し訳なさを感じます。

そこには、「神さまを信じるか」という問いだけでは説明しきれない感覚があります。

 

 

 

命をいただいて、自分が生きる。

自然に支えられ、人に支えられ、自分の知らないところにある働きによって、今日の一食がここにある。

そう考えると、「いただきます」は礼儀だけではなく、自分が世界の中でどんな位置にいるのかを思い出す言葉にも見えてきます。

 

 

 

 

自分だけで生きていると思えば、世界とのつながりは見えにくくなる。

けれど、つながりを思い出すと、心は少し静かになります。

整えるとは、自分を変えることではなく、本来の状態に戻ること。

もしかすると日本人は、神さまを説明するより前に、食事という日常の中で、その気配を感じてきたのかもしれません。

 

 

 

「祓う前に、確かめる」。

自分は、何によって今日ここに生かされているのか。

「いただきます」は、その問いを毎日、静かに食卓へ置いてくれています。

日本人の心と魂について、もう少し知りたい方へ
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日本の神さまというと、神社の奥にいる特別な存在を思い浮かべるかもしれません。

でも、日本では昔から、山や川、木々、火、水、食べ物など、暮らしのすぐそばにも神聖なものを感じてきました。

だから「いただきます」という言葉にも、少し独特の感覚があるように思います。

 

 

 

誰か一人にお礼を言うのではなく、自分の目の前に届くまでに関わった、たくさんの命や働きに頭を下げる。

海外にも食前の祈りや感謝の習慣はあります。

違うのは、「神がいるか、いないか」ではありません。

神聖さを、どこに感じるか。

そして、それをどんな形で表すか。

 

 

 

日本人は、名前のつかないものにも手を合わせてきました。

ご飯一膳の向こうにも、自分一人では生きられない世界がある。

「いただきます」は、そんな当たり前のことを、毎日そっと思い出させる言葉なのかもしれません。

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食事の前、日本人は自然に「いただきます」と言います。

子どもの頃から当たり前すぎて、深く意味を考えたことがない人も多いでしょう。

一方で、海外では日本と同じ言葉を食前に言わない文化もあります。もちろん、祈りを捧げる人もいれば、感謝を心の中で表す人もいます。

 

だから、外国人は感謝しない、という話ではありません。

おもしろいのは、日本の「いただきます」が、特定の神さまに向けた言葉ではないことです。

 

 

 

野菜にも、魚にも、お米にも。

そして、それを育てた人、運んだ人、料理した人にも。

目の前の一皿にたくさんの命と働きが重なっていることを、ひと言で受け取る。

 

「食べます」ではなく、「いただきます」。

 

 

 

毎日の何気ない言葉の中に、日本人が昔から大切にしてきた心が、今も残っているのかもしれません。

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