【魂の座標】神主 むなかたはやとです。

 

成人した娘さん、
という言葉と、
子どものような笑顔。

その組み合わせが、
少しだけ引っかかっていました。

 

大人になれば、
落ち着くもの。
場をわきまえるもの。
そう思い込んでいたのかもしれません。

 

けれど、
その二人は、
神社という場所で、
役割を演じているようには見えませんでした。

 

「娘」でもなく、
「大人」でもなく、
ただ、童心に還った人。
いや、子どもそのもの。

 

母親もまた、
導く人というより、
同じ場に立っている人、
いや、子どもそのもの。

ふたりの無邪気な子ども・・・そんな距離感でした。

 

整った関係。
理想的な親子。
そう言いたくなる一方で、
どこか、
説明しすぎな言葉にも感じます。

 

もしかすると、
人は成長するほど、
自分を収める癖を身につけるのかもしれません。

 

あの笑顔は、
失われていたものなのか。
それとも、
一時的に外に出てきただけなのか。

 

答えは出ません。
ただ、
「大人らしさ」という言葉が、
少しだけ、
静かになりました。

日常の中でふと感じた違和感や静けさについて、
もう少し言葉にしています。

「魂の座標を、静かに還す。古神道の場」
https://cocoromamoru.com/tamashii-no-zahyou/

【魂の座標】神主 むなかたはやとです。

 

ある神社で、
母親と、成人した娘さんの参拝者を見かけました。

服装や話し方から、
近所ではなさそうだと感じました。
遠くから来たのだろう、
という、それだけの印象です。

 

 

参道を歩きながら、
母娘さんは、
子どものような笑顔で、
何かを指さしてはしゃいでいました。

特別な儀式をしているわけでもなく、
写真を撮るでもなく、
ただ、楽しそうに歩いている。

 


その光景が、
少しだけ目に残りました。

理由はわかりません。

 


ただ、
通り過ぎても、
振り返ってしまった。
それだけです。

 

 

日常の中でふと感じた違和感や静けさについて、
もう少し言葉にしています。

「魂の座標を、静かに還す。古神道の場」
https://cocoromamoru.com/tamashii-no-zahyou/

先日、久しぶりに近所のラーメン屋さんに行きました。
高校生のころから通っているお店です。

 

久しぶりだったのに、
暖簾をくぐった瞬間に、あの頃の空気を思い出しました。


そして出てきたラーメンも、驚くほど変わっていませんでした。

今は新しい味や流行が次々に出てきます。


でも、そのラーメンは「変わらないまま」そこにありました。

 

食べながら、
人もこんな場所が必要なんじゃないかな、と思いました。
何かを頑張る場所ではなく、
変わろうとしなくていい場所。

私たちは、日々たくさんの役割をこなしています。


知らないうちに無理をして、
自分の立ち位置が分からなくなることもあります。

 

そんなとき、
無理に前に進まなくてもいいのかもしれません。


一度、立ち止まって、
「元の感覚って、どんなだったかな」と思い出すだけでいい。

 

あのラーメンの味は、
変わらないことで、安心をくれていました。
人もきっと、同じです。

 

もし、
最近ちょっと噛み合わない感じがしていたら。
そんなときのための静かな場所を、ここに用意しています。
▶︎ https://cocoromamoru.com/tamashii-no-zahyou/

ここ最近、特別な出来事があったわけでもないのに、
なぜか身体が重く、気持ちも静まりきらない日が続いていました。

 

忙しすぎたわけでもない。
悩みごとが増えたわけでもない。


生活はいつも通りなのに、どこか「噛み合っていない」感じ。

こういうとき、
多くの人は「疲れてるだけ」「年齢のせい」「気のせい」と片づけます。

でも私は、
この感覚を無視しないようにしています。

 

 

それは不調というより、
魂のどこかが、ほんの少しズレている合図だからです。

ズレは、痛みや不安の形を取るとは限りません。

 


「なんとなく違う」
「前と同じなのに、楽しくない」
そんな静かな違和感として現れることも多い。

整えようと頑張らなくていい。
原因を探そうとしなくていい。

 

 

ただ、
戻る必要がある場所がある
それだけを感じ取れば十分なこともあります。

 

整えば、勝手に戻る。
戻れば、人生は自然に動き出す。

最近、そんな原点を改めて思い出しました。

 

※もし、この話に引っかかるものがあったら、
私が扱っている「魂の座標」という考え方を、そっと置いておきます。
▶︎ https://cocoromamoru.com/tamashii-no-zahyou/

 「美食やビジュアルなど五感の快感に惑わされてはいけませんよ」という【御神歌】 

    全文音声はこちら https://reiwado.jp/2019/07/03/ 

 

目と耳と口と香りと手触りは肉体にかかるものですね。 心も肉体に属するというお話は以前しました。  その楽しみとは「水の面に立つ泡と同じ」と【御神歌】は教えるのです。  確かに 五感で感じ取ったものは、その状況と一緒に思い出として残っているだけで多くは忘却の彼方。  相当なアートでない限りその後の人生に影響を与えたりしないですね(だからこそアートは尊い)。   五感の楽しみに縛られて人生の意義を見失っていませんか?との自問自答は大切なことのようです。  私が恐ろしいと思うのは、赤ちょうちんの居酒屋です。 暗闇に浮かぶ赤い灯に「酒」の文字・焼き鳥の香ばしいかおり・楽しいそうな 声は、味覚を強烈に奮い立たせ、そして魂のこもった肉体ごとフラフラと暖簾をくぐらせる・・。もう、意のままに操られていますね。  ほどほどにしておきましょう。     それでは、また。