間質性肺炎の急性増悪の可能性大で緊急入院していた夫。回復著しく、自力でトイレにも行けるようになり、明日血液検査の結果次第で退院の時期の検討をするとのこと。少しホッとしてなんだか力が抜けています。
入院する半月ほど前のこと…ことあるごとに感じていた思いやりのない夫の言動に、もう離婚になっても仕方がないという諦めの心境で強く抗議しました(ブログの前半の方に愚痴を書かせていただいています)。そんなに私のことが嫌いなら出て行ってくれて構わない、このままではもう辛くて一緒にいられない、と。
夫が会社を起こしてから、出来る限りのことをしてサポートしてきたつもりでした。自営業で土日もなく働く夫でしたから運動会にもほぼ来たことがなく、子どもの親子登山など、本来お父さんが参加する行事も全て私が参加して、◯◯ちゃんはお父さんいないの?と聞かれたりと実家の手を借りながら子育てに奮闘した時期もありました。
家族のために仕事をしてくれているのですし、夫婦の間の信頼関係があればそれでも良かったのですが、家族との時間よりも当時子どもが所属していた某団体の研修会や行事参加することが増え、ついに夫から『離婚したい、すぐにでも出ていきたい』と言われてから約20年。それからずっと、私が必要で大切だという気持ちは感じられないままでした。疎まれ、邪険にされたことも一度や二度ではなかったのです。
入院する日の前日、話があると部屋に呼ばれ『今まで本当に申し訳なかった、こんなに貴女を傷付けていたとは思ってもいなかった。指摘されたことは全てその通りで、そんなつもりはなかったけれども、自分の行動を客観的に聞かされて、とても酷いことをしていたんだと思った』と泣いていました。今まで見たことがない夫の姿でした。
その時はもう話すとすぐ息切れする状態で、食事も取れず、次の日の夕方SpO2が76になり緊急入院となりました。その後の経過は前のブログに書かせていただいていますm(_ _)m。
我が家の場合、一番近くにいながら、随分遠くにいたのが夫だったように思います。分かろうと思ってもちっとも分からなかった人。何を考えているか、どうしたいのか、話してもくれないから何にも分からない。
意を決して伝えていなければ…あのまま帰らぬ人になっていたら…きっと一生後悔し続けたと思います。
夫婦という関係の難しさ、長い間連れそう意味、健やかなる時も、病める時も、という誓いの言葉の持つ意味がここに来てようやく少し分かったような気がしています…。