今回は自己紹介みたいな投稿になりそうです。ちょっと2023年に於ける現在地を見つめ直してみたくなりましたので。しっとりと振り返りつつ現在地を確かめていきたいところなので、いつも濫用してしまう顔絵文字は使わない様に^^進めていこうと思います(実際使いたくなってしまう箇所は一杯出てきそうですが)。


・《将棋に就いて》将棋を指し始めたのは小学生頃(父に教えられて※伯父はアマ四段)でしたが高校以降は勉強が大変になり、それから鬱も酷くなってしまってコロナ禍になる前の30歳位までは全く指すこととは離れてしまっている状態(ブランクは十五年程)でありました。子供の頃は、いきなり角交換していく乱戦や中飛車の将棋が、やたら好きだったのですが今ではそれらの戦法で【なかなか勝つことが出来ません】。なので自分に関していえば、30過ぎてからの【嬉野流との出会い】が、とても大きかったです!

・《自分自身に就いて》細々とした展開ではありますが美術活動(現代アート系)をしております。藝大受験失敗後(結果的には高卒となる)、小型絵画の公募展ワンダーシードに数回挑戦するも入選は一回だけ。19歳頃から群馬青年ビエンナーレ(※※年齢制限29歳以下なので,応募資格はとっくに過ぎてしまいました)も、ほぼ毎回応募しましたが全て落選しました(他にワンダーウォールやTARO賞,アーツチャレンジとかにも挑戦しましたが全滅…)。コマーシャルギャラリーへのファイル送付とかセカンダリー系の画廊に作品アドバイスとか求めた二十代前半の時もありましたが、これも全然ダメという結果でした。以降地元名古屋および名古屋近郊で、ちょこちょこした発表はあったものの反響や手応えといったものは一向に訪れることなく時間だけが何年も何年も過ぎ去っていった感じです。現在メインとなってる表現スポットは毎年GW頃に開催される岐阜県美濃加茂市・みのかも文化の森での“みのかもアニュアル”展(11年間参加)です。年により出来不出来が激しかったのが振り返ってみると残念な点ですが、今年は後が無いといった切実感(年齢的にも)で、かなり計画的かつ必死に取り組んだことにより、現在の自分なりに良い展示を作っていくことが出来たと感じております(※今回のカバー写真が,その時の出品作のうちの一つです)。

  二十代は自己表現との過酷な格闘、様々な作品づくりに伴う失敗(→ストレス,プレッシャー)もあって、とても将棋を指すという気持ちにはなれなかったのは残念なところです…。それと時間感覚が美術表現は一つひとつ滅茶苦茶長いので非常に短時間で終わってしまうこともある将棋と比べると、まるで別世界というところもあります。ザックリまとめると表現の模索期間、細かい調査が要る期間(身の回りにおけるアートスポットの把握や展示の見極め)は厳しい勝負(指すこと)を日々していく心の余裕は全く無かったです。いずれにしてもコロナ禍によって行動パターンがガクッと変わった(以前にもまして【自閉的】になった)のは私には衝撃的変化でしたね…。

・《♨️温泉巡りに就いて》二十代になってからは状況がガラッと変わってしまって(移転など)全く出来なくなってしまった(現状,経済的にも不可能…)のですが十代の頃は、とにかく温泉好きでした。9歳の時、群馬県の著名な草津温泉そして10歳くらいの時に群馬県の万座温泉の酸性硫黄泉(硫黄含有量が日本一!)の湯力、自然の偉大さに魅せられて、子供ながら♨️に取りつかれてしまったのです。学校が終わってから、いきなり出掛けたり夏休み冬休みの期間は安宿、湯治宿に泊まる綿密な!?プランを立てて家族で回りまくってました。特に参考にさせて頂いたのは故・美坂哲男氏(温泉マニアの教祖的存在,岩波書店勤務)、【郡司勇】氏(温泉チャンピオン,一級建築士)、松田忠徳氏(温泉教授,塩素循環風呂を嫌う)、坂本衛氏(珍湯マニア,国鉄車掌)、故・野口冬人氏(全国温泉事典,湯治宿関連の著書多数)の書かれた温泉ガイドブックでした。当時は今の様にネットで温泉情報が飛び回っていない状況下(私自身25過ぎるまでネット環境に日常晒されてない完全アナログ人間だったことも勿論ありますが)ということもあり、何千という温泉に入られた、これらの方々からの鋭くマニアックなデータは十代前半の私にとって、ものすごく刺激的だった印象です。私の狂気に満ちた趣味に粘り強く付き合ってくれた両親には感謝です。結果的には《19歳で600湯》(北海道は全く回ってないです)を達成することが出来ました(記録を見てみたら20歳以降~三十代の今に至るまで,たった4湯しか入湯数増やせていないので自分の湯巡りは十代に集約されていたのがハッキリ分かります)。東へ西へ旅していった感じで一日何湯も入ったり(野沢の外湯13湯は夕方現地に着いてから一気に制覇した記憶…)しましたが中でも【東北の温泉】(湯治文化が根付いている所が素晴らしいです)は大変優れていると実感しました。部活はやらず塾へも一切行かず、いつも地図と何十冊ものガイドブックばかり見て、どの温泉に、どうやってアプローチするか(当初は近場の質の悪い温泉で荒っぽく入湯数を増やしていくスタイルだったのですが,十代後半は遠方の絶対入っておくべき温泉に確実に浴せられる様な練った行程を考えていきました)ばかり考えてた感じです!ただ高校は普通科で課題やテストだらけの日々でしたので、この辺りから(将棋もでしたが)自由な精神や楽しみへの時間管理が、かなりキツくなっていってしまいました。元々、人と話すことや人と居ることの居心地悪さを子供の頃から凄い感じるタイプだったので(それ故,自己表現の歩みになっていますが)、とにかく学校でのギュンギュンな窮屈感・鬱屈を少しでも晴らすために湯旅計画(郡司氏も若い頃,地図を見ての“空想旅行”もお好きだったと書かれていた様な気がします)へと向かったのではないかと感じます。一人で、何時間も一個の関心事に集中して思考を巡らせていく方法が幼少期から今に至るまで私は好きですね。

・《ヤフオク!,メルカリ古本販売の時期に就いて》時間飛んで、これは27,8歳頃の事ですが、この辺りも二十才前後同様に、かなりの神経をすり減らされる日々でした。一人でやっていた訳でなくインターネット取引と郵送そのものは常に簡単なのですが、要所要所で変化に富んだ細かい気遣いが必要になって来るところもあって大雑把で何かにつけて、かなり引き摺ってしまう私としてはなかなかにプレッシャーかかる作業でありました。当たり前なのですが、本は単価が安いので相当な数を効率よく売らないとハッキリ苦しくなってしまうのが辛いところでした…。ただ一つ、この頃は本を読む習慣に無い私が小学生(低学年頃シャーロックホームズシリーズ全てを暗い自宅の部屋で一気に全部読んでいたら,あっという間の,ど金眼になってしまったので,それに多大なる恐怖を感じ読むことは止めてしまいました)以来位に、ごく短期間(一年くらい)ではありましたが時間をかけて(※販売と同時進行という形で)読みたい本に没入していけたので、その点だけは良かったです(リアルでは,とても苦しい時期※制作が全然出来なかったり,それ以外にも…でしたが)。
・《映画鑑賞に就いて》これは思春期から二十歳くらいにかけてです。DVDは中古でも今より安く入手しにくかった様な時代でしたが、当時住んでいた近くに激安リサイクルショップ店がありまして、そこで50円+税でレンタル落ちのVHSが販売されてたので有り難かったです!ゴダール、ジャームッシュ、【キェシロフスキ】、ベルイマンなどの西洋の名画を断続的に入手出来た時の興奮はかなりのものでした。イレーヌ・ジャコブに魅せられました。
・《TV,YouTubeでのスポーツ観戦に就いて》私は運動神経ゼロです。確か小4の頃は通知表の体育の欄が全部空欄だった事もありました。それもあってか,逆に鮮やかな動きには惹かれる傾向にあります。子供の頃は祖母から教わった相撲観戦(栃東が好きでした),2000年前後は野球で巨人戦や高校野球の明徳義塾戦をひたすら追っかけていた時期もありました。高校時代からは毎年ウィンブルドンでロジャー・フェデラー選手を深夜(※日本時間のNHK)に観て感動しまくってましたね!最近はYouTubeで細かく楽しめるSASUKEが好きです(これも十代から,よく観てました)。

・《名古屋に就いて》最後に11年以上居る地元に関して短く書いていきたいです(常々感じて来たこと)。
 自分は愛知県出身(↑は昔の写真)ではあるのですが【かなり岐阜寄りの地域】出身というのがあり、都会間近の現環境と比べると著しくと言っていい程異なっているので、この十何年はかなり過ごしにくかったです。人も違いますし。道路が絶えず混んでいるのも本当に参ってしまいます(出身地域は信号機が少なかった)。鬱や神経質な感じは私の根深い性質なので以前の場所でもよく滲み出ておりましたが、それに増して大きな不安感やヒステリックな要素が付け加わっているのを、少なくとも自己内で感じ取るので如何に、それらを【抑制】していくかが今後の絶えざる課題のなって来そうです。活動とか刺激とかを得るには以前の場所よりは明らかに便利なのですが、私は基本的に【静】を自然と好むタイプなので、いざ何かありそうな局面に面しても、なぜか波に乗り遅れてしまったり判断力も、ちぐはぐになってしまったりします。あんまり集中力が続かないです。だからこそ動き(行動力)をアップさせていかねば…と必死に考えるここ数年です。身動き取り辛い今をちょっとでも乗り越えられるよう、しっかりと見て、考えていけたらと感じます。