13年めの3.11。。

 

 昨日のNHK。 pm9:00~、

自治体職員の当時の難事、悩み、苦悩の告白。胸にささりました。

 

 どの方も必死に対応していたに違いない。

ぎりぎりのところで苦しんだことを話していました。まだまだ消化しきれないでいる人もいるのだ。

 

 福島原発事故で一斉退去の指示が出され、うめき声は聞こえても救助行動が出来なかったと話すのは消防隊員。その後、救済に出動して遺体の顔が苦痛のまま亡くなっていたと話す。 何と酷な・・何とむごい・・。

 

 阪神淡路大震災の時の手記か何かで読んだのと同じであるが地震災害で死亡者が多い時は死亡者の埋葬は困難をきたす。焼場が機能せずに土葬する作業に関わった職員の苦悩の告白は赤裸々で苦しくなった。

あまりにも多くの被災死亡者で焼場はパンク。

遺族への説得は困難を極める。

なんにもない、なんにもしてあげられない状況で棺の上にせめてもと花一輪を添えて埋葬したと先の手記で呼んだ記憶がある。

 

 13年前の3,11の私は退職を目の前にしていた。ちょうどその時間は4階の応接室で資料の説明をしていた。揺れている感覚がなかったがどなたかが、揺れている!と。

そしてすぐテレビのスイッチオン。

 津波の映像が目に飛び込んできた記憶があるがはたしてそんなに早く津波がきたのか? その頭の中に残る映像の記憶は信ぴょう性がない。

 一緒に退職する同僚が「もし、この地震がここだったら俺らは退職どころじゃないな」その言葉が妙に記憶に残っている。あの時の被災地の退職予定の職員たちはどうしたのだろうか・・テレビをみながらそんなことを思い出しました

 

 

 お天とさん、お久しぶり!

 気持ちの良い暖かさです。きょうようはお買い物。自転車で大丈夫!

 

 

 (昨日の朝はこんなでしたが今朝はパンパン・・そろそろ春さん、来てもいいんじゃないの?)