成功したいなら、心をダウンロードしたらいいと思ってるんです。
脳はPC。プログラミングするのは心とか精神体。
成功する方法を知りたくなってしまいがちだけれども、本当はプログラミングさえできれば勝手に今の状況にあった方法で自動で動いてくれる。
成功の法則の本を読むんじゃなくて、成功者の心が描いてあるエッセイ集とか伝記とかの本を読む方が進んだりする。
昔の私で、真面目な考え方をしている状態だった時。成功者の感情が読み取れる本を読むと、結構ぶっ飛んでて楽しかったりしました。まぁそんな感じ。
人の歴史を地政学や生物学として見てみると。生物なんだな〜って思うのですよね。
巣穴争い。戦力増強のための取り決めあれこれ。
人間的って考えよりも、動物的で機械的って考えた方がわかりやすいよって昔ネットの海で見たのですが、今もしっくりくる。って思うのです。
これからは”ある”という考え方への移行しよ。って思ったのです。
不思議に思ったのです。お金はあるところにはじゃぶじゃぶある。じゃぁ、無い人がいるのは何故?
お金がじゃぶじゃぶあるとしよう。何がしたい?って思ったら、旅行行ける余裕があったら、それでよくて、変わらず家庭菜園したり、部屋の観葉植物眺めたり、今とあんまり変わらない生活してるだろうなって思ったんです。日々の生活の中の幸せは変わらずあることを知っているからかもしれませんね。
人間、動物として、生物として、自然の循環の中に組み込まれている意識で動くと、物質的なものは全部満たされているし、全てがあるのかな。なんて思ったりして。
パーマカルチャーとか自給自足とかの生活見てると思うのです。
微生物の動きがわかったら、農作物作るのも楽になるし、調味料にも困らない。
生活は満たされるな。って。
あると思ったら、全てがあるのかもしれません。
毎年、梅干しや梅酒を作っているって意識がある人は、梅の木が庭になくたって、毎年何かしら、梅と出会う機会が設けられます。
知り合いからたまたま、大量に梅をもらったり、安く手に入ったり。
植物は土に種を蒔けば育つものであるって意識を持っている人は、毎年、種子からでも上手に作物を実らせているものです。
スーパーで買ってきた果物や植物を植えて上手に育てている人ってたくさんいらっしゃいます。
あるって思ったらなんでもあるんだろうなって思うのです。
お金も、あるって思ったらあるんだと思います。
自由に暮らせてるくらい、お金はあるって思ってたら、あるんだと思います。
そんな感じの、あるかもしれない生活の中で、「あ、これもあるじゃん」ってのを探していく遊びをしています。
これが”ある”って考え方への移行です。
っていうか、ず〜っと昔、あるものがたくさんありました。生活は満たされているのです。
「振り子」って考え方聞いたことありますか?
私ね、その考え方の話聞いて思ったのです。振り子があります。振り子が揺れます。差が生まれます。って。でも、元々あるはずです。それをどこに無くしているのか。
勝手な解釈ですよ。無いって思わせてるんだと思ったのです。
あるはずのものを無いと思わせる。思い込ませる事で、自分と他者とで差を生み出してるのかな?って。
それを皆んながやるから、みんな無くなっていく。どんどん不便に思い込まされていく。
差が生まれました。それって幸せ?
お金がじゃぶじゃぶあります。無い人も見れました。それって幸せ?
幸せとは別のベクトルなのではないかと思ったのですよね。
それにね、思い込まされる人も無くなっていくけど、それ以上に、無いを探している人はもっともっと無くなっていっちゃうんじゃ無いかと思うんですよね。だって、無いを自分から探しているのですから。
もし、欲しいのなら、あるを探す方が、私は好きです。
これもあった、あれもあった、これも持ってたんだ!って見つけていく方が、私は楽しく遊べるなって思ったのです。
脳というPCを動かすのは、心や精神体です。じゃあ、必要なのは、精神体や心と呼ばれている自分が満たされるにはどうすればいいかにシフトしていきたいと思ったのです。
自分は何がやりたいのか、何が楽しいのか、どうせ物質的なものは、溢れるくらい豊かで、あるを見つけたら、自分に巡ってくる。守りはとっても硬いわけです。だから、自分の心が満たされるには、何がしたいのか、今をどう過ごしたいのか、それを見れたらな。って思う今日この頃です。