あー、風 自死した子の親たち

若林一美さまの記事を
転載させて頂きます

死別の悲しみは消える
ことはない。

『不在』という刻印は、
 時間がたつにつれ、

 存在すること以上に
 大きな意味を持ってくる
  ように思う。

あと1年で念願の医師に
なれるという時期に、

自らの命を閉じた息子。

その父親は死から6年後の
思いを、こうつづる。

『君のことで後悔し懺悔
しています。君と私の関係は
この宇宙で一期一会のこと
なのに、私はうわべだけの

君を見ていた。

君の本当の『命』に触れて
いませんでした。

『家族はそういうものだ。
 何か起きて初めて出会う
  旅が始まるのだ』と

 聞いたことがあります。

そうだとすれば、

人間は何と悲しい存在
でしょう』

作家の高 史郎さんは
12歳の一人子を自死で
失った。

死の翌年、

息子の岡 真史さんの

手帳を基に

『 ぼくは12歳 』
(筑摩書房)

を出版したが、
詩集は姿なき息子
そのものであった。

あとがきに

『後悔とは、この身をなんとか
残酷に焼きつくすものでしょう』

と記している。

父として、

その後何度も死を思った
という。

古希を迎える時、

こう記す。

『つくづくと生の不思議を
 思うのである。一切の
希望が潰えたついえたとき、

姿なき身となった亡き子が、

私の手を取ったのである。

あるいは悲しみが、

私の手を取ったと
言うべきか』


子を亡くした親でつくる

『ちいさな風の会』に

高さんを招いたことがある。

その話を聞いたある会員は

内容だけでなく、過酷な
現実を生き抜いて来られた
お顔に、接するだけで救いに
なった

と感想を語っていた。

息子の死から47年余り。

高さんは90歳を過ぎた。

ある会員は時に、

この会について

『ここは子どもたちの父母会
子の存在を感じられる場です』

と話す。

死者によって生かされて
いる実感は、ある意味、

死別の現実との和解で
あり、自分の生を認める
ことにもつながっていく
ように思う。

『ちいさな風の会』世話人

(土曜日に掲載)

死別の現実との和解

自分は、まだまだ

和解ができないですね

いつも君との事を後悔
して懺悔してます

だけども哀しい悲しい
出来事がいまは?

かなしいに変わりつつ
ある気がします

すこしずつ前に

お兄ちゃんとの愛ことば

クロネコやまとの宅急便

いっぽ まえ