10月8日の土曜日

地元紙日本海新聞に

掲載された記事を転載

させて頂きます


あー、風


自死した子の親たち 9




勤務先に入った1本の電話


切なる思い、若者に届く


若林一美


子を亡くした親たちが集う


『ちいさな風の会』は、


情報発信を積極的には

してこなかった。


なぜなら1988年の


発足当初、


当事者ではない人たちから、


心ない言葉やすさまじい

数の問い合わせを受けた

からだ。


当時はまだ、


遺族の会というものが

珍しかったからなのかも

しれない。


問い合わせの中には


『傷のなめ合いをして

 どうするのか』


といった偏見や同情。


興味本位に


『自死遺族を紹介して』


という依頼の他、


耳にするだけでも


心が痛む言葉も含まれていた。


子を亡くした人が、


この会と関わったことで、


不快な思いをすること

だけは避けたかった。


そのため外部との関わりを

最小限にとどめてきた。


だが、


発足から約5年が過ぎた

頃に変化があった。


『自分たちのような人間

 でも、生きていると

 知ってほしい』


『一人で苦しんでいる人が

 いたら


『あなただけではない』


 と伝えたい』。


目的を掲げて作られた

会でもなかったが、


そうした声が会員の間で

で始めたのだ。


やがて会員の協力により、


会に関する本が出版される

ことになる。


最初は94年。


その9年後には自死に

テーマを絞った本も出ている。


どちらも


『少しでも人の役に立てれば』


という遺族の思いに根差し

ていた。


刊行後しばらくして私の

勤務先に大学生から1本の

電話が入る。


『死のうと思っていた。


 自分の命だから好きに

 していい。


でも自死遺族の本を読み、

残された人の悲しみに

初めて気付いた。


生きてみようと思う』


その言葉を会員の人たちに

伝えると心底、


喜んでくれた。


『同じ体験をした親に


『孤独ではないから』と


伝え、勇気づけたかった。


それが若者の心にまで

届いたとは』と声を

詰まらせた。


悲しみが

命を救うこと

もある。


そう悟ったのも会の活動の

中だった。


ちいさな風の会 世話人


(土曜日に掲載)


自分は?

まだまだ

遺族の方々に寄り添った

態度やら言葉かけが

出来ません


自分の事だけで毎日

なんとか息をしています


自分にできる遺族支援に

ついて毎日考えています



なかなか気持ちがうまく

いきません


生きていく事は辛いこと


だけども逃げること

だけは、多分この先も

しません


虹🌈の会代表をはじめと

する会のみなさんへ


本当にお世話になりました

心より感謝申し上げます