鳥取県地元紙
日本海新聞より
転載させて頂きます





私の心臓止まれ

繰り返す

答えなく
立ち尽くす
日々

あー、風

自死した子の親たち 7

若林一美

自死が理由でなくても
子と死別した人の

ほとんどは

持って行き場のない怒りや、

自責の念にかられている。

そして

『なぜ、こんなことが私に
  起きたのか』

 という堂々巡りの

 答えのない問いの前に
 立ち尽くしている。

 子どもを亡くした親でつくる

『ちいさな風の会』の、
ある会員の女性は語る。

『毎晩、ベッドに入る時

『私の心臓、止まれ』と

 繰り返す。

明日こそ目が開かずに
子どもの所に行けます
ように、

と祈って眠る』という。


次の朝、

そっと目を開けてみると、

生きている自分がいる。

仕方なく朝食の支度に
取りかかる。

そんな毎日が息子の死から
1年4ヶ月間続いた。

涙が出ると頭痛がして
息が詰まる症状におびえ、

息子の死を打ち消そうと

努力する。

思い出さないよう、

音楽を聴いたり掃除を
したり。

『でも希望は生まれない』


同じ体験者の集まりに
参加しても、

明快な答えや処方箋の
ようなものが示される
わけではない。

会員の手記をまとめた
文集に、親たちの思いが
つづられている。


『息子は20歳を目前に、
自ら命を絶ってしまいました。

自分がつぶれそうになると、

リセットをするために
会に出席しています。


ただただうなずき、

相づちを打っていただく
だけの集まりなのに、

それが何よりも気が
休まるのです』


『娘に先立たれたのに、

なぜ私が生きているのか
不思議でした。

でも会に来て、

私だけではなかったと
いうことを知りました。


答えが出ない日々を
過ごしている人がいる
ことを文集が教えてくれ、

張り詰めた心が少しだけ
緩められました』


安心できる場に身を

置くことで

少しだけ肩の力が抜け、

深く息が吸える。

ささやかな

つながりを社会に求めた

人たちが、

止まり木のような会の

活動を支え、

同時に支えられてきた
ということなのだろう。


(『ちいさな風の会』世話人)

(土曜日に掲載)

昨日近所のコンビニにて
日本海新聞を購入して
記事を読みました。

私の心臓止まれ

自分もこの言葉を
繰り返していました


つい先日実家の両親を
連れて温泉施設に行った
自分たち

浴槽に浸かっていると
上半身をバスタオルで
おおった方が湯船に
つかられました。

浴槽の中にタオルを
つけてはいけない

張り紙はしてなかった
のですが常識的に考えると
理解できるはず

でも自分

実家の母もですが

注意というか言いません
でした。


そんなクルマでの帰り道

母が、その事を言って
きたんです。

あの人非常識だな

普通温泉の浴槽に
タオルをつけたら
いけん事ぐらい

分かるだろ

そう言ってきました

自分少しだけイラっと
きました。

お母ちゃんにとっては
非常識かもしれんけど

もしかしたら?

あの人は?

乳がんに罹られて
胸の手術しなったかも
しれんよ

自分の職場でも利用者さま

におられるけど

やっぱり他人に見せたく
ないもんね

カラダの傷

そう返したら母は黙りました。

娘に意見を言われて
腹が立ったのかな?


なぜか母と私と孫の
3人で大山登山をした
事を言ってきました

強い子に育てようと
思って大山登山したけど

弱いから
死んで
しまった

そう私に言ってくる母

なんだか論点がずれてる


貴方の初孫は弱いから
死んだのではないです

なんとか生きようと
したけど。。。

本人ではないので
想像するしかない


誰も息子の本心なんか
分かるはずがない

私自身でさえ

自分の心が分からないの

だから



今日もなんとか生きようと