あー、風

自死した子の親たち  3

鳥取県地元紙日本海新聞
より転載させて頂きます

湯船に入れぬ母の思い

冷たい海で逝った息子 


若林一美

『ちいさな風の会』には

 自死に限らず

さまざまな理由で子を
亡くした親が集う。


中には寒い冬でも湯船に
漬かることができない
母もいる。

冷たい海で死んでしまった

一人息子を思うと

風呂の中で手足を伸ばし

温まることが

『申し訳なく切ない』

のだという。

その日の朝も

いつものように

登校する息子に

2階のベランダから
手を振った。

見送りを欠かさぬ母に

17歳の息子は気恥ず
かしそうに


『もう今日だけでいいからね』

という言葉を残して

それが最後になるとも

知らず

出かけて行った。

海の近くで生まれ
育った彼は


将来は海洋生物の
研究をしたいという
夢があり

部活動でもウインド
サーフィンを楽しん
でいた。

その日も夕方から
練習が始まったのだが

ある部員が岸に戻って
こない。

部長だった息子は顧問の
先生に促されるようにして

沖へと捜索に向かった。

間もなく風向きが変わり

突風も吹き始める。

波間で苦しんでいるで
あろう2人の姿は

見つからぬまま一夜が

明けた。

岸辺で待つ家族にも
救助隊の様子が遺体を
捜索する雰囲気へと

変わるのが感じられた。

地元の漁師たちが

『母親が捜索船に乗ると
  遺体が揚がる』 


 という言い伝えを
つぶやくのが耳に入る。


受け入れがたく信じ
たくなかったが

母は

『少しでも早く息子に
 会いたい』


船に乗り込んだ。

程なくして息子が
見つかった。

母の元へ帰ってきたー。


冷たい

冷たい冷え切った姿で。


部活動中に起きた事故
だった。

安全対策が講じられ

状況判断が的確に
なされていたら

失われずに済んだ命で
あったかもしれない。

それから15年近く。

当時

半狂乱だった母の気持ちも

随分と落ち着いて
きてはいる。

しかし

いまだに

真冬でも温かな湯船に
漬かることのできない

母の悲しみがあるのだ。


『ちいさな風の会』
  世話人

(土曜日に掲載)

自分達夫婦の息子の事を
思い出しています

3月28日に自死を決行


その日の夜中がやまです


そう医者に告げられた

私たち家族


自分


どうだったかな?

半狂乱にはなって
いませんでした


たくさんの機械に
つながれた息子の姿


まだカラダは温かい

まだ息子は生きている

意識はないけど


人工呼吸器をつけて

かろうじて生きてる


息子がそこにいました


オムツを装着して

髭も伸びて

目は開けてくれません


オムツは交換させて
もらえなかったけど


手や足をお湯で洗いました

お湯が汲んである

洗面器からタオルで

拭いたのかな


髭剃りもしました


13日間


頑張って生きてくれました

あの13日間が


あったから


最期の瞬間を

遺された家族4人で

見送る事が出来たから

今なんとか生きながら

えているんだと思います

お兄ちゃん


立派な旅立ちでした