令和4年8月20日土曜日
鳥取県地元紙日本海新聞に
掲載された記事より
転載させて頂きます
あー、風
自死した子の親たち
若林一美
時の流れで癒えるのか
子どもを亡くした親による
『ちいさな風の会』に参加
することは
とても大きな決断と勇気を
必要とする。
初七日の法要を終えた
ばかりで、家族から
両脇を抱えられるように
してやって来る人もいれば
子の死から20年以上
がたってから
会員になりたいと申し
込んで来る人もいる。
時がたてば
悲しみが自然と軽く
なるわけではなく
悲しみの表れ方
表し方は実にさまざまだ。
長年
会員の方たちの話しを
聞いてきて
そう実感する。
町を歩いていて通り
すがりの人に注意され
ふと気が付くと小雪の
ちらつく中を
夏物の半袖ブラウスを
着て歩いていたと
いう遺族もいる。
それでも寒さを感じな
かったという。
激しい悲しみゆえに
感覚がまひするというより
むしろ心も体もすっぽり
と大きな繭の中に入り
込んでしまうような状態で
生命が維持されていく
のではないかと思う
こともある。
しかし周囲からは
単に時間が経過すれば
悲しみは癒えるものだ
と思われがちだ。
こんなふうに語った
親もいる。
『悪夢のような日から
5ヶ月がたった。
友人や知人からは
『少しは元気になった?』
『いつまでも悲しんで
いてはだめよ』
と言われる。
慰めてくださっていると
分かってはいても
その言葉はとても冷たい。
大切なわが子を亡くして
元気でいられる親が
いますか。
悲しまない親がいますか。
それでも
『何とかね』
と答え
何でもない顔をしなければ
ならないのが、つらいです』
別の親は
『暗い顔をしていると
嫌われてしまう』
という不安を漏らす。
ごみを出す日に
家の外に出るにも
思い切りが必要で
ある朝
赤いセーターを着て
元気な声であいさつを
すると
後ろから
『気丈だよね。
お子さん
亡くしているのにね』
という
ささやきが聞こえてきた。
『ちいさな風の会』
世話人
(土曜日に掲載)
この新聞の記事は?
職場にて利用者さまが
読まれていた新聞記事を
カゴから取り出して
読みました。
ここに書いてある事は
自分にあてはまる
ほんとにその通りです
自分は?
息子の葬儀が終わった
4日後に職場に復帰
しました。
まだ遺族の会の方々とは
繋がってない自分
職場に復帰するのは
まさに恐怖としか言え
ない想いしかありません
周りから子どもを
死なせてしまった
愚かな母親
母親失格
そう思われているに
違いない
自分以外の全ての人たちが
全員敵に思えたあの日
あれから五年が経とうが
忘れることはありません
し
この先もずっとずっと
記憶のカケラには
ならないと思います
自死した子の親たち
この言葉を見て
この記事を読まれた人の
気持ちを知りたい自分が
います
自死遺族といっても
さまざまなカタチが
ありますね
一括りではおさまり
きれない自死遺族
なりたくてなったワケ
ではないのに
世間の目は厳しかった
言葉遊びが、過ぎると
言われてもやってられる
かいなあ
こんな世知辛い世の中
特に今はコロナ禍放電
まっさかり
全然楽しいことなんか
ないです
毎日苦しくって
切なくて
やりきれない
そんな毎日を過ごして
います
いや
息をやっとこさ
しとる感覚かな
生き辛い世の中
大人も子ども達も
みんなそう
どうしたら?
少しでも
生きていてよかった
自分達を産んで
この世に送りだして
くれてありがとう
お母さん
お父さんって
自分自身が言える日が
くるんだろう
哀しいなあ
そんな日がくるわけない
分かってるもん自分
どう頑張っても
許せない事があるもん
