この善意の上から目線には
それこそ私自身の内面に
こびりついている


自分自身は、まず


そんなこと

=自死はしないだろう


という

根拠のない確信に裏打ちされた
傲慢な思い込みがあるのでは
ないかと思うのです



愛があれば必ず救うことが
できると思います


という抽象的で空虚な言葉は
その延長上にあると思います


この言葉そのものには悪意は
なかったかもしれません


だけど、筆者の善意の上から
目線が当初の善意と


かけはなれた鋭いトゲと
なって遺族の心に突き刺さ
ったのです


筆者は、ここに思わぬ

落とし穴があったと
気づくべきでした



もう一つの他人事という魔物

の正体は、加害者・差別者に
なり得るという自己に対して


無自覚でいる意識・態度だ
と私は思っています


つまり


自分は加害者・差別者とは
別世界の人間だ



自分は加害者・差別者などに
なるはずがない



知らず知らずに思い込んで
しまっている自分を凝視
することです


おそらく、このコラムの
筆者も自分自身の書いた


コラムが、遺族を苦しめる
ことになる

加害者になるなんて


微塵もみじんも意識の中
にはなかったと思います


同様に自治体の広報担当者も
そのようなことは思いもよら
なかったのではないかと
思います


だけども、ここに


私が苦しめ傷つけた人が
実在していることを


やはり厳粛に受け止めなけ
ばならないでしょう


当人に差別するつもりが
なくても


差別される人が傷ついた
なら、それは差別である


とよく言われますが


当人に差別している自覚が
なくてもそこに差別が


あれば、当然差別された
人は傷つくという方が


より真実を言い当てていると
思います


啓発活動に携わる者は

こういった落とし穴や
魔物が潜んでいることを


十分に自覚する必要があると
思います



自分は今でも赦すことが
できない人がいます


息子の葬儀が無事に終わり


なんとかまがりなりにも
息子をあの世とやらに


送り出すことができた
安堵感であふれていました



そんな自分に周りのみなさん
そっとして下さる方々が
多くて嬉しかったです



そんな中ひとりの方だけは
当初から本当に死因について
根掘り葉掘り聞いてこられ


もううんざりを通り越して
ふざけんな


💢💢💢💢💢


マーク満載


ガツンと言ってやりました


あのときは唖然とした
顔をしていたお局さま


あれから4年と5ヶ月が
経ちました



お局さまから見る自分は?


もう明るく元気いっぱい
楽しんでると思ってるん
でしょうよ



優雅におひとりさまを
満喫してるとでもお思い?


そんなわけないがんや


あんたの見えん場所では
泣いとるわい


人の前で涙をみせるのが
嫌なだけだわい


そんな事も知らんのに
アレやこれや詮索すんな



もう一緒に仕事するのが
憂鬱を通り越して



動悸が鬱うつするのんよ


ほんに


どげ



釈迦牟尼仏ですよお